「Tears of Time」シリーズは、20 世紀末から 21 世紀初頭にかけて、数多の歴史文献から掘り起こされた化石 のような作品たちだ。恥力の限界を突破したのち、「若さ故の過ち」との反省を込めつつ、自分で記録して世に出したものでもある。
『銀河鉄道999』は、松本零士にとって間違いなく重要な作品である。これまで松本先生は、さまざまなジャンルの題材に挑戦してきたが、そのテーマは非常に幅広く、彼の興味や専門性、ロマン、価値観、そして完璧な生命体を追い求める願望までをも内包している。もし松本先生の意識や思想を「一つの作品」に基づいて論じるとすれば、おそらく『999』こそが唯一、その議論に値する作品だろう。
少年・星野鉄郎は、機械化文明が蔓延する未来で成長する。貧しく質素な生活を送り、母親と二人だけの生活を営む中で、その母親は機械化人間によって「狩られて」しまう……。悲憤に駆られ、機械化文明を徹底的に破壊することを誓った鉄郎は、限られた肉体の命では歳月の試練を乗り越えられないことを痛感する。
長い未来において、より多くのことを成し、夢を実現するための唯一の可能性は、銀河列車 999 に乗り、機械の身体をタダで手に入れられる終着駅――アンドロメダへ向かうことだった。そのとき、長い髪をたなびかせた謎めいた美しい女性メーテルが現れ、999 の乗車券を渡すことを約束する。ただし条件として、鉄郎は終着駅に着くまで彼女のそばに付き添わなければならなかった。
地球を離れたい一心の鉄郎は、ためらわずその切符を受け取った。こうして、神秘的で気高い女と、平凡な O 脚の少年は、長く果てしない銀河の旅へと共に踏み出した……。
鉄郎と共に旅するメーテルは、彼にとって超然たる存在である。旅の途中、どんな危険な状況に直面しても、メーテルは常に冷静にそれを切り抜け、鉄郎を導いて、彼が生まれ持った最も強力な武器――「優しさ、誠実さ、正直さ」を用いてすべての困難に立ち向かうよう促す。まるで鉄郎がこの旅を成し遂げるために生まれてきたかのようだ。
何より重要なのは、鉄郎がタダで機械の身体を手に入れたいと願うことに対して、メーテルは一切口出しせず、判断も与えないことである。彼女は、まるで先知のようにすべてを見通す役割を担いながらも、すべての決定権を鉄郎に委ね、彼が本当に助けを必要としたときだけ、的確に手を差し伸べる。メーテルが鉄郎に与えるのは完全な信頼であり、そのおかげで鉄郎はこの旅の中で、自分自身の力で答えを見つけることができるのだ。
途中で立ち寄る一つ一つの星々や環境、旅の中で出会う敵や仲間たちを通して、鉄郎も絶えず学び、成長していく……。新しい星に降り立つたびに、まるで新たな自分自身を再発見しているかのようだ。やがて、鉄郎は自分の旅の目的に疑問を抱き始める。
機械の身体を手に入れた後、機械の目で見える世界は果たして以前と同じ世界だろうか?体内を流れるのが油と冷却液になったとき、熱い血液がもたらす感動をまだ味わえるのだろうか?心がエネルギー炉に置き換えられた後も、自分は他者のために涙を流すことができるのだろうか……?
了解,我把這句改成更順暢、有文學感的表現:
999は、銀河の果てに向かって静かに、一駅また一駅と進んでいく……。鉄郎は迷いを抱いた。機械の身体とは、彼にとって一体何なのか?いわゆる「永遠の命」は、本当に「永遠の身体」によって得られるものなのか?松本零士は、鉄郎の旅を通じて、この問いをさまざまな形で繰り返し投げかける。同時に、鉄郎とともに旅する私たちにも、その問いは向けられている。
『銀河鉄道 999』において、「機械の身体」と「機械文明」は、「永遠の堕落と悲哀」を象徴している。それに対し、「肉体を持つ人間」は、尽きることのない生命力と無限の可能性を象徴する。
もしこの概念を軸として捉えるなら、旅の途中で立ち寄る異星の駅やそこで起こる出来事は、松本零士の世界観におけるさまざまな価値観、原則、こだわりが、この軸と出会った際に生まれる矛盾や衝突を示していることになる。松本零士の世界では、人の心には無限の可能性が存在し、999 が停車するそれぞれの星は、ある信念の具現化として解釈できる。松本先生が「信念を貫くこと」の価値を惜しみなく肯定している一方で、現実においては、どんな絶対的な信念も完全とは言えないものだ。
夢と希望を胸に抱く一人の少年が、理想を追い求めて星空の彼方へ向かう銀河列車に乗る――なんとロマンチックな物語だろう!しかし、少年はまだ知らない。この列車が実は、彼自身の心の奥底にある原点へと導いていることを……。
全視界アニメ&コミック情報誌 image(2000.3月号 Vol.4)に掲載

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