1973年、香港の児童向け半月刊『児童樂園』を通じて、「ドラえもん」は華人市場へと広がっていった。叮噹(ドラえもん)、大雄(のび太)、靜宜(しずか)、肥仔(ジャイアン)、牙擦仔(スネ夫)……といった訳名こそが、私にとってこの作品との出会いだった。
その後、青文出版社から刊行された『機器貓小叮噹』では、「大雄」の姓が「程」から「葉」へと変わり、靜宜は「宜靜」に、肥仔と牙擦仔はそれぞれ「技安」と「阿福」になった。違和感はあったものの、当時台湾ではこのバージョンが主流で、幼かった私はこの変化に慣れるのにかなり時間がかかった。
自分にとっては比較的新しかったこれらの訳名も、そのまま当時の読者と時代を共にしてきた。たとえ1997年に小学館が「多啦A夢」で華語圏の訳名を統一し、それ以降は「静香」「胖虎」「小夫」がいわば正解になったとしても、1970年代から90年代に生まれた世代にとっては、どこか抵抗が残っているはずだ。
ベテランのオタクとして、「訳名」をめぐる内心の葛藤は、この数十年で数えきれないほど抱えてきた。

鳥山明の出世作『Dr.スランプ』も、私が最初に触れ、何冊分ものセリフを暗記できるほど繰り返し読んだのは、80年代の海賊版だった。丁大丙、丁小雨、可美、珊珊老師……これらの訳名は、もう自分の血肉の一部になっている。
92年、台湾で日本漫画が版権時代に入り、『怪博士與機器娃娃』は慣れ親しんだ書名のまま再び表舞台に戻ってきた。しかし、登場人物はすべて本来の名前に「訂正」してしまった。「則卷千兵衛」「阿拉蕾」「卡斯拉」「山吹綠」……字面上は原文に忠実かもしれないが、日本語の原文でしか通じないさまざまな工夫は、中国語へと置き換えられたことで、すっかり失われてしまった。
あのM78星雲からやって来て、地球では三分間しか変身できない赤と白の巨人――台湾における訳名もまた、複雑に絡み合っていてややこしい話だ。1970年代に、漫画雑誌『漫畫大王』は内山まもる執筆の「ウルトラマン」シリーズを(トレースで描きなおしたものを)連載に入れた。当時使われていた訳名が「超人力霸王」だった。この名前は間違いなく、あの時代を生きた人たちの記憶に深く刻まれている。90年代以降には「宇宙超人」といった新たな訳名も現れたが、主流になることはなかったようだ。

1994年の周星馳の映画『破壊之王』で、あの伝説級の「鹹蛋超人」ネタが、「ウルトラマン」の知名度を華人圏で一気に押し広げた。当時代理店のエライ人は何を考えていたのかは知らないが、その流れで「鹹蛋超人」を台湾における公式訳名として採用してしまった。21世紀に入ると、中国で使われていた英語由来の「奥特曼」もネットメディアを通じて一気に広まり、この訳名をめぐる混戦は、さらにややこしくなった。
ここ十数年は有志による正名運動の積み重ねによって、台湾における正式な訳名は再び「超人力霸王」へと戻っている。ただ、多くの人にとっては「鹹蛋超人」のほうがしっくりくるだろう。
先日、YouTubeのトーク番組で、「ポケモン」が任天堂によって「寶可夢」に統一されたことで覚えた違和感について語られているのを目にした。そこから1999年のことを思い出した。当時、台湾の代理店が大々的に「神奇寶貝」という公式訳名を打ち出したとき、周りのオタク仲間たちが見せていた、あの何とも言えない複雑な表情を鮮明に覚えている。当時はどうにも気恥ずかしく感じられたあの微妙な訳名も、いまでは公式を越えた正統のようなものになっている。

認めざるを得ないのは、どれだけ抵抗しても、「胖虎」や「小夫」といった名前も、いつかは新しい世代の読者や視聴者の血肉の一部となり、やがて「正統」になっていくということだ。グローバル規模の版元の中で、ブランド(訳名)の統一を進めるにあたって、自分たちの作品が異なる言語環境の中で育んできた、その土地ごとの共有された記憶にまで思いを致そうとするところが、いったいいくつあるのだろうか。

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