普段、マンガは読んでいるだろうか。どんな方法で、どんな作品を読んでいるだろう。
二十年ほど前と比べれば、台湾のマンガは大きな成長を遂げた。それでも、主流市場では日本マンガが相変わらず圧倒的な存在感を放っており、そのシェアは実に90~95%にも達する。長年にわたり、「翻訳」は台湾のマンガ市場にとって、避けようとしても避けられない問題だった。
読みたい作品に十分な人気があれば、台湾の出版社が運営するオンライン書店を覗けば、毎週のように、日本とほぼ同時に発売された、できたての繁体中国語版を見つけられるかもしれない。そこまで人気のない作品なら、もう少し気長に待てばいい。よほどマニアックな作品でもない限り、いつかは台湾でも単行本として発売される日がやってくる。
では……よりによって、自分が読みたいのがそんなマニアックな作品だったら? 台湾の出版社が目をつけて、国内で出してくれるよう、せっせと神頼みするしかない。それでも駄目なら、潔く諦めて日本語を勉強するしかない。
台湾のマンガ読者にとって、これがひとつの宿命なのかもしれない。マンガ出版業界に影響力を持たない限り、いつも「待つ」ことと「期待する」ことしかできない。だが、近年めざましく進化するAI技術が、マンガファンにも「選択する権利」と「行動する権利」をもたらすのかもしれない。
ここ数年、日本の出版社はウェブマンガを積極的に展開しており、そのほとんどが公式サイトで最新話まで追えるようになっている(しかも、その多くは無料で読める)。一方、今や世の中には数え切れないほどのAIマンガ翻訳ツールが存在する。ブラウザに適当な拡張機能をひとつ入れてしまえば……この時代に生きるマンガ読者なら、本来はいつでもどこでも好きな作品を好きなだけ読める、「オタクに国境なし」の世界にとっくに生きているはずではないだろうか。
ところが、実際のところはどうもそうでもない。認知度こそかなり高いものの、自らツールをインストールして作品を「読む」人は、今のところごく一部のコアな読者に限られている。「AIマンガ翻訳ツール」は、現段階では明らかに、このエコシステムの主流にはなっていない。
もしかすると、「BOOK☆WALKER」の例を通して、こうした現状を「ビジネスモデル」と「読書体験」という二つの側面から読み解いてみることができるかもしれない。
日本と台湾で展開する電子書籍プラットフォーム「BOOK☆WALKER」は、Mantra株式会社が開発したAIマンガ翻訳エンジンを導入し、2026年5月からオンライン上でマンガを自動翻訳できるサービスの提供を正式に開始した。ところが、言語の壁を越え、国境をまたいで収益を生み出せるこのサービスの対象となっているのは、一般の商業作品ではなく、「個人出版」の同人誌に限られている。なぜ同人誌だけなのだろうか。
開発本部の柳瀬部長の答えは、いたって率直だった。
「そのほうが許諾を取りやすいから。」
一般の商業出版物は、翻訳出版権の大半がすでに決まっている。まだどこからも声がかかっていない新作でもない限り、そもそも彼らが入り込む余地がない。しかも、それを差し引いたとしても、各出版社に「AI翻訳作品を販売して利益を出す」ことを認めてもらうのは、ほとんど不可能に近い。もしそんな話が通ってしまったら、大手出版社の国際版権部門の社員は、みんな飯の食い上げではないか。「出版業界」そのものの構造が変わらない限り、BOOK☆WALKERのビジネスモデルがそこに入り込む余地はない。
一方、同人誌は個人出版なので、版権については基本的に作者本人と話をつければいい。許諾するか、しないかもシンプルでわかりやすい。多くの個人作家にとって、「海外市場を開拓する」というのは、常に魅力的でありながらハードルの高い選択肢だ。そのため、プラットフォームへの掲載に同意してくれる作家も大半を占める。参加したくないという人がいても、それはそれで構わない。「じゃあまた」と切り上げて、すぐ次の作家を探して話を進めればいい。大手出版社を相手にするのに比べれば、機動力も高く、時間的なコストも何十倍も少なくて済む。
まあ、商業作品を選べないとしても、今ではお金を出してでも読みたい優れた同人誌はたくさんある。それなら、買いさえすれば、そのままプラットフォーム上で「日本語マンガの中国語版」を楽しめるのか? うーん……厳密に言えば、そうとも限らない。BOOK☆WALKERが提供しているAI翻訳は、元の画面にある日本語を「中国語に置き換える」ものではなく、各ページの下に中国語の字幕を表示する方式になっている。なぜ「吹き出しの中の原文を中国語に置き換える」方式を選ばないのか? 実は、原文の位置を認識して文字を入れたり、吹き出しに合わせて文字の大きさを調整したりすること自体は、技術的にはすでに可能なのだ……問題は、「100%正確だと保証できない」ことにある。
「100%」という数字は、商業利用においては実にシビアだ。たとえ精度が99.999%に達していたとしても、そこには「間違える可能性」があり、「文字が画面を過度に圧迫する」「台詞の位置がずれる」といった問題が起こり得るツールであることに変わりはない。もしミスによって作品の内容に影響が出れば、プラットフォームが「作品(商品)に欠陥を生じさせた」の責任を全面的に負わなければならない。字幕形式で作品を翻訳するという方式を選ぶことで、原文を含む「画面」をそのままの状態に保ち、作者の著作権を守ることができるだけでなく、翻訳結果についての責任の所在も、商業的な面でも法的な面でも、より明確に切り分けることができる。
上述の「作品(同人誌)」と「翻訳画面の形式(字幕)」という選択は、どちらも「ビジネスモデル」上の判断と言えるだろう。だが、「翻訳画面の形式」は同時に、「読書体験」にも直結する。作品の画面を邪魔されることなく、内容を正確に読み取りたい読者にとって、BOOK☆WALKERが選んだ「字幕形式」は、もちろんひとつの選択肢になり得る。正しいか間違っているかという話ではなく、ただひとつの選択にすぎない。
ただ、読者が求めているのは「文字情報を正確に受け取ること」だけではないのかもしれない。
マンガにおける「画面」と「文字」は、必ずしも完全に切り離せる二つの要素ではない。作品を開けば、吹き出しの中の台詞だけでなく、画面の中には、キャラクターのつぶやきを表す手書きの小さな文字、環境音や動きを表現する擬音、物に印刷されたラベル、建物に掲げられた看板、壁に貼られたポスターの文字……。これらはどれも「文字」ではあるが、同時に「画面」の一部でもある。まして、たとえ吹き出しの中に書かれた台詞であっても、実際の会話、心の中の言葉、歌うときの歌詞、そして機械を通して伝わってくる声などは、それぞれ異なるフォントで画面に表現されることが多い。
擬音のように「描かれた」文字は、一画一画に至るまで作者が考え抜いたうえで描かれており、作品の構図における「画面表現」の一部となっている。たとえ描かれた文字でなくても、作品の語りの状況に合うのはどんなフォントなのか。文字の大きさはどの程度がいいのか、どこで改行すれば読みやすく、吹き出しの中で窮屈にも、かといって余白だらけにもならないのか。同じ一文でも、原文と中国語では文字数が異なる以上、レイアウトを調整する必要はないのか……。翻訳マンガを「きちんと仕上げる」のであれば、こうした作業の一つひとつに、高度な専門性と経験が求められる。
現在のAIには、こうした工程を「きちんと仕上げる」ための専門的な能力が、まだ備わっていない。
先ほど触れた、BOOK☆WALKERが導入しているのは、Mantra株式会社が開発した翻訳エンジンだ。2020年に設立され、AIによるマンガ翻訳技術の研究開発に特化したスタートアップで、設立からわずか4年後の2024年6月には、第三者割当増資によって、集英社、小学館、KADOKAWA、スクウェア・エニックス……など、数多くの大手出版社から総額約7.8億円を調達している。
BOOK☆WALKERがすでにこのシステムを使って外貨を稼ぎ始めているのだから、出資までしている大手出版社だって、自前のプラットフォームを持っているところは少なくない。しかも、自社作品を使うのであれば、もっとも面倒な版権問題に悩まされることもない。「Japanese MANGA」が世界を席巻している今、各出版社が自社のプラットフォームに多言語翻訳機能を付けさえすれば、世界中のマンガファンの財布をたちまち掴んで、がっぽり儲けられる……はずではないだろうか?
ところが、2026年になった今、なぜ日本の出版社は一社としてBOOK☆WALKERのような自動翻訳の仕組みを導入していないのだろうか? その答えは、ここまでの話ですでに出ているのかもしれない――「読書体験」だ。
一時的な利用や過渡的な使い方なら、まだ話はわかる。だが、日本人が自分たちの作品を「字幕を追加しただけ」の形式で最終的な商品として販売することを受け入れ、ましてやそれで満足するとは、どうにも想像しにくい。前述したように、ひとたび作品を開けば、目の前にあるすべての要素が、作者と編集者による創作の結晶だ。字幕形式では、そうした創作の結晶を異なる言語圏の読者に余すところなく伝えることはできない。百歩譲って、「日本語の原型のままの作品(画面)」を提供することなら、一部のクリエイターは受け入れられるとしよう。それでも、細部にまで徹底してこだわり抜く日本人が、「ユーザーが料金を払って購入する」商品に「間違える可能性」が残っていることを、果たして受け入れられるだろうか。
そう、彼らは「自動翻訳」を使っていない。だが、それはこのマンガ翻訳エンジンを活用していないという意味ではない。集英社と小学館はいずれもMantra Engineを導入し、自社プラットフォームで作品を外国語版に翻訳する作業を支援している。その結果、制作工程全体の作業時間を50%以上削減している。さらにSQUARE ENIXはMantraと共同で、AIによる自動文字入れ・フォント選択・組版エンジンを開発しており、将来的には編集部全体で年間3000時間以上の作業時間を削減できる見込みだ。日本の出版社がこの技術に向き合う際の姿勢は、「人間に取って代わらせるのではなく、このツールによって仕事の効率を大幅に高める」というものだ。そして、その多くがこれを「海外海賊版に対抗するための武器」と位置づけている。相手が海賊版である以上、公式側が示せる誠意であり、強みとなるのは品質、つまり「読書体験」だ。AIにできるのは人間の作業を支援し、品質を守りながら、正規版と海賊版の間に生じる時間差を縮めることなのである。
この方針は、やはり正しいのではないだろうか。長年にわたり、数え切れないほどの調査報告が繰り返し示してきたように、消費者が海賊版を利用するのは、単に安く済ませたいからというわけではない。公式が高品質な商品を、誰もが簡単に購入できる形で提供すれば、人々はむしろ喜んでお金を払う。
これだけ多くのAIマンガ翻訳ソフトが出回っているのだから、出版社がどこかのツールと組んで、オンラインのマンガ翻訳サービスを始めてもよさそうなものではないか。確かに、AI翻訳ソフトの大半は、ウェブページさえ開ければ、理論上はそのページに表示されている内容を翻訳することができる。「翻訳品質」という技術的な問題はいったん脇に置こう(AI翻訳の品質は日進月歩で向上しており、人間による翻訳との差もますます小さくなっている)。重要なのは、「正規版作品」をどこから入手し、どのような形で読ませるのかという問題だ。出版社は、自社が権利を持つ作品の版権を守ると同時に、世に出る作品が作者にきちんと利益をもたらす仕組みを確保しなければならない。そのツールが「非正規なルートで入手・表示された」作品にも使えてしまう限り、それは「海賊版を助長する共犯者」と見なされるだけであり、日本の出版社がそんなツールと手を組むことなど、まずあり得ない。
2026年8月初旬、集英社は創業100周年を記念して、期間限定の特別企画「MANGA MILLION」をスタートさせた。会員登録は必要なく、総ページ数100万ページを超える複数のマンガ作品を、100以上の言語で翻訳された状態で、世界中どこからでも無料でオンライン閲覧できるというものだ。この企画についての報道を最初に目にしたときは、創業100周年を機に、長年培ってきたAIマンガ翻訳技術の成果をついに世界に披露するのかと思った。ところが、企画の内容をよく読んでみると、それはただの早とちりだった。
これは、世界各国で集英社のマンガ作品を取り扱う現地出版社の協力によって実現した企画だ。この382作品のうち、「繁体中国語」で読めるのは87作品。その87作品はすべて、「東立」「長鴻」「尖端」など、台湾の出版社から刊行された台湾版だ。
各作品の紹介ページの末尾にある「Translation Credits」の欄には、その作品がどの言語に翻訳されたのか、それぞれの言語版を担当した翻訳者、植字(編集担当)、そして各国の代理出版社名まで記載されている。100近い国と地域をまたぐこの企画を実現するために、集英社の国際版権部が限られた時間の中で、数え切れないほどの海外出版社と契約をまとめ、膨大な量の事務手続きをこなしていったのだと思うと、それだけで気が遠くなる。
翻訳はすべてプロの翻訳家によるもので、集英社公式ならではの信頼できるクオリティでお楽しみいただけます。
「公式」である以上、たとえ生身の人間を過労死寸前まで働かせることになったとしても、AIに任せて、読者が安心して読めないような作品を出すわけにはいかない。これが日本の「すべてのマンガ出版社」に共通する方針だと証明することはできないが、この一文からは、少なくとも集英社が「プロの仕事を尊重する」という姿勢を崩していないことがうかがえる。そして現段階では、「品質」、つまりここまで述べてきた「読書体験」と引き換えにするつもりもないようだ。
この記事を書くために、私もいくつものAIマンガ翻訳のブラウザ拡張機能を実際に試してみたが、ほとんどのものは首をかしげ、ため息をつくような出来だった。その中で唯一、台湾で開発・運営され、訳文を自動的にセリフ枠の中へきちんと収め、「現在もっとも画面を壊しにくい」と謳っているAIマンガ翻訳ソフトがあった。
正直に言えば、マンガ翻訳者として「まったく脅威を感じなかった」と言ったら嘘になるが、その脅威がそこまで大きいわけでもなさそうだ。セリフはきちんとセリフ枠の中に収まり、翻訳そのものにも目立った誤りはなかった。しかし、文字の配置は明らかにまだ精度が足りない。本来なら中央に置くべき文字が、左に寄りすぎていたり、逆に右に寄りすぎていたりする。また、活字としてきちんと配置された文字しか翻訳できず、手書き文字の認識精度もまだ低い。フォントの選択や文字の表現も、原版ならではの画面表現には、まだ追いついていない。
作品の海外版をきちんと仕上げようと思えば、「内容を間違えて翻訳しない」「文字を間違った位置に置かない」「訳文で画面を壊さない」といった条件は、どれも最低限の、取るに足らない細部にすぎない。
ダジャレや慣用句を、それぞれの文化的な文脈に合わせて、どう正確に訳し出すのか?
異なる性格のキャラクターが、異なる状況で、異なる相手に同じ言葉を口にしたとき、そのキャラクターや状況にふさわしい言い回しや語調をどう選ぶのか?
原文の方言を、訳文でどうすれば直感的に伝えられるのか?
過去の展開やキャラクターの個性、作者の背景、時事ネタ……そうした伏線や小ネタを、どうすればきちんと訳し切れるのか?
こうしたさまざまな要素以外にも、一つの作品を翻訳する過程では、いつ、どこで、どんな想定外の要素にぶつかるかわからない。そうした要素を無視してしまえば、一文一文は「正確に訳されている」のに、作品全体としては惨憺たる出来になってしまうことだってある。ましてや、先ほど触れた、画面の状況や物語の流れに合わせて行う編集・組版の作業が、一作品の「読書体験」に与える影響は決して小さくない。翻訳者であれ編集者であれ、作品に対する敬意があってこそ、一つの翻訳作品を「きちんと仕上げる」ことができるのだと思う。
もしかすると、そう遠くない未来には、AIが生み出す成果――あえて「翻訳」という一つの動詞では表現しない――が、私が大切だと思っている一つひとつの工程に、本当に応えられるようになるのかもしれない。だが、これまで自分が触れてきたさまざまな情報や、実際にツールを操作してみた感触からすると、これまで翻訳作品に注いできた「敬意」が、少なくともしばらくのあいだはAIに取って代わられることはなさそうだと思う。もちろん、それが成り立つためには、マンガ市場そのものにも同じ認識と姿勢が共有されていなければならない。読者が求めているものが、今のAI翻訳で提供できる程度の成果だけなのだとしたら、どれだけ丹念に磨き上げた「職人魂」であっても、淘汰される運命を受け入れるしかない。
この時代に、私はまだこの業界に自分の語学力を役立てる機会を持てている。そして、自分自身の読書経験をもとに、編集者と「この字はこう直すべきだ」「この行はここに置くべきだ」と、細かいところまでこだわって議論することもできる。私は、この手仕事だからこそ得られる達成感を、とても大切にしているし、心から楽しんでもいる。
だからこそ、台湾のマンガ市場を支えている読者の皆さんが、マンガ業界の翻訳作品一つひとつに私たちが注いできた「敬意」を受け止めてくれていることを、心からありがたく思っている。

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