まだ台北にIMAXがなかった頃の話だ。大画面と言えば、西門町の成都路にあった「国賓大戯院」が自分の中で唯一無二の選択肢だった。1993年に導入されたドルビーSRDシステムを体験した時のことだ。本編前に蒸気機関車のデモ映像が流れ、身体の芯まで響く重低音にゾクゾクと鳥肌が立った。それ以来、SFやアクションの大作となれば国賓以外考えられなくなった(『ジュラシック・パーク』はたしか国賓で3回観たはずだ)。変なこだわりがある性格のせいか、どうせ映画館を選ぶなら席にもこだわりたいと思うタチだった。何本もの映画で検証を重ねた結果、両目の視野がいっぱいにスクリーンで埋まり、かつ字幕を追うのに視線を左右に動かさずに済む絶妙な距離をついに突き止めた。それから何年もの間、国賓のその座席は僕の「指定席」になった。
詳しい時期はもうはっきり覚えていないが、まだ兵役中だったことだけは確かだ。ある休暇で台北に戻った際、兄から「お前、国賓に行ったらどこに座る?」と聞かれた。
当時の兄は仲間たちと『在台北生存的100個理由(台北で生きる100の理由)』という本を作っている最中で、この質問の答えもその本を通して世に出ることは明らかだった。聞かれた瞬間は一瞬躊躇したものの、心の奥の良心が「ここで出し惜しみをする場面じゃない」と告げていた。なにしろ血のつながった兄弟だ。長年温めてきた不動の特等席を惜しみなく教えると、その座席は実際に「關於處女座的星期三早場電影(乙女座の水曜朝イチの映画について)」という一文の中に書き込まれることになった(光達さん、あの席を彼に教えたのは僕ですよ)。記事の中では「さらにこだわり強い乙女座」が指定する席として描写されていたが、実際の僕は天秤座だ。
東京に定住してからの最初の10年間、主な生活圏は西側の多摩エリアに集中していた。国分寺から中央線に乗れば30分足らずで新宿に出られるとはいえ、何かしら用事でもなければわざわざ遠出する気にもなれない。あの頃の僕の映画生活は、基本的に立川の「シネマシティ」に支えられていたと言っていい。再び都心へ引っ越し、選択肢が増えてから、ようやくIMAXが日常的な定番になっていった。
練馬区のユナイテッド・シネマとしまえんは、僕が最初に通い詰めたIMAX映画館だ。国賓と同じくらい巨大なスクリーンで観る映像は実に爽快で、池袋から10分ちょっと一本で通えるアクセスの良さも魅力的だった。歌舞伎町にゴジラが目印のTOHOシネマズ新宿ができてからは、映画を観る拠点を新宿へと移した。としまえんに比べるとスクリーンが一回り小ぶりではあるが、できたばかりの映画館は設備も快適そのもの。幅が3〜5メートルほど狭いことくらい、大目に見ることにした。
としまえんも新宿もIMAXのフルサイズには対応していないし、台北の大直ミラマー(美麗華)がオープンした頃には、僕はもう台湾を離れていた。だから池袋にグランドシネマサンシャインができるまで、僕は1.43:1の「真・IMAX」を一度も体験したことがなかったのだ。
シネマサンシャインは長年、池袋を代表する看板映画館であり続けたけれど、正直に言ってかなり古びていた。2002年に公開された『WXIII 機動警察パトレイバー』を観に行ったのもそこだった。全席自由席のシステムが今時まだ生き残っていることに、当時ひどく驚かされたのを覚えている。お世辞にも快適な映画体験とは言えなかったので、どうしてもそこでしか観られない作品でもない限り、進んで足を運ぶような場所ではなかった。
池袋の隣駅へ引っ越して数年が経った頃、そのシネマサンシャインが東急ハンズ(そう、当時はまだハンズがあったのだ)のすぐ近くに新しいビルを建てて移転し、しかもIMAXスクリーンを備えた大型シネコンになるという噂を耳にした。近い将来、家のすぐ近くに最新鋭の映画館ができるのだと思うと……あの数年間は本当に待ち遠しくて仕方なかった。
2019年7月、グランドシネマサンシャイン池袋が華々しくオープンした。会員の受付が始まると、僕は当然のように初日に飛び込んだ。今でも忘れられないのは、本編が始まる前に上映された、劇場のスペックを誇示するデモ映像『IMAX® Pre-Show Intro: Infinite Worlds』がもたらしたあの衝撃だ。もっとも、その日観たIMAX版『天気の子』の本編は、実際には1.43:1のフルサイズをまったく使っていなかったのだけれど。
後から知ったのだが、目と鼻の先にあるこの「ご近所さん」は、現時点で日本最大のスクリーンを誇り、かつ1.43:1のフルサイズIMAXに対応した国内にたった2館しかない映画館のひとつだったのだ(もう一館は大阪の109シネマズ大阪エキスポシティで、スクリーンのサイズもほぼ変わらない)。この恵まれた立地には感謝しかないが、最高の環境だからこそ、東京中のライバルたちと座席を争う羽目になる。話題の大作が公開されるたび、有料会員の僕でさえシステムと格闘しながら血眼でチケットを奪い合わなければならない。
狙うべき席はどこか。これまでにここで数十本のIMAX作品を観てきたのだから、もちろんベストな距離感はとっくに割り出してある。だが、僕もそれなりに年を重ね、若い頃よりは少しだけ丸くなった。今では「完璧な指定席」にそこまで固執することもなくなった。もちろん、妥協と言っても限度はある。許容できる誤差は、あの「不動の特等席」から前後1列、左右4席まで。もしそこが取れなければ……上映回をずらすか、別の日に出直せばいいだけの話だ。なにしろ映画館は家のごく近所にある。機動性の勝負になれば、僕にかなりのアドバンテージがあるはずだ。
何年か前、友人が「大直のミラマーのIMAXがいかに凄くてヤバいか」を熱弁してきたことがあった。当時の僕は「うちの隣にある日本一の映画館に勝てるわけないだろ」と青くさく言い返したものだ。無知とは恐ろしいもので、当時の僕はミラマーのスクリーンが隣の映画館よりさらに巨大だという事実を知らなかったのだ……そう、台湾最大の映画館は、日本一のそれよりもデカかったのである。とはいえ、座席の配置から言わせてもらえば、ミラマーは僕にとって少々デカすぎた。結局「指定席」を最後列に設定するしかなかったくらいなのだから。
ここまで散々IMAXのあれこれを語ってきたが、結局のところ、マチズモ全開な男の「サイズ比べ」という平面的な思考から一歩も抜け出せていない。ぶっちゃけてしまえば、僕自身、画面のデカさくらいしか理解できていないのだ。今のデジタル投影技術はどれも高水準で、画質が目に見えてモザイク状になったり、グラデーションが潰れてダマになったりでもしない限り、基本的に文句はない。音響だって立体感があって、ゾクゾクするような低音さえ響かせてくれれば十分。非圧縮12chなんちゃらっていうハイテク技術なんて、途中でスピーカーをこっそり数個外されていても、きっと気づきもしないだろう。
それに、ミラマーや池袋、大阪にあるような世界レベルの化け物級スクリーンは別として、西門町の国賓や信義の松仁MUVIE CINEMAS(TITAN SCREEN)あたりなら、すでに多くの中規模IMAX映画館のスクリーンサイズを超えている。そもそもノーランのように事あるごとにIMAXフィルムを持ち出す監督でもない限り、1.43:1対応のスクリーンなんて大半の映画にとって意味がないのだ。音響効果に関しても、台北には国賓以外にドルビーアトモスを導入している映画館がいくつもあるし、松仁MUVIE CINEMASに至っては全8館がTHX認定基準を満たしている。作品自体がフルサイズ撮影されたものでもなく、自分の耳もそこまで繊細でないのなら、正直「IMAX」という4文字にそこまで執着する必要なんてどこにもないのだ。
そうは言っても、折良くノーランが「最初から最後までIMAXのフルサイズで撮影された」新作を公開したばかりで、偶然にも日本最大のIMAXが僕の家のすぐ隣にあるのだ(いつまでドヤ顔しているつもりだ……)。何年も前から楽しみにしていたこの大作のためなら、もう少し近所の映画館を贔屓にしたって罰は当たらないだろう。SNSのタイムラインに流れてくる台湾のインフルエンサーや映画批評家たちの感想は、ネタバレを避けるために目に入った瞬間スクロールするか速攻でページを閉じた。そしてついに公開3日前、システムと血眼で格闘する覚悟を固めて予約ページを開き、スケジュールを確認すると……あれ、ない? まさか台湾先行公開で、日本は数日遅れとか……あ! ちがう。いつものパターンなら、数日遅れで済むはずがない。
案の定、日本はまたしても世界から取り残され、他国よりきっちり2ヶ月遅れでの公開となっていた。世界中のIMAX劇場があの「家に帰れない男」に占領されていたその時、日本最大のスクリーンに投映されていたのは、ちいかわだった。

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