Asma NOTE

Years of rambling from a midlife otaku.

トンボの湯 in 軽井沢

2026年の初夏、結婚記念日を祝うために一泊二日の小さな旅を計画した。行き先に軽井沢を選んだ理由のひとつが、駅のすぐそばにある鉄板洋食の店「NISHIHATA」と、大正四年(1915年)創業の「星野温泉 トンボの湯」へ一度足を運んでみたかったことだ。

日本の温泉施設は、ただ体を洗って湯に浸かるだけの場所ではない。スパやマッサージといったリラクゼーションの空間が併設されていることも多いし、空腹になれば食事処があり、雑誌や漫画も読み放題で時間を持て余すことがない。眠くなれば、テレビ付きのリクライニングチェアに身を預けて、そのまま仮眠を取ることもできる。

せっかく入場料を払うのだから、その価値はできるだけ引き出したい。温泉に行くときは、たいてい開店と同時に入るようにしている。受付でロッカーキーを受け取り、男女それぞれの入口の前で妻と待ち合わせの時間を決める。そして風呂を上がったあとは、マッサージで体をほぐし、食事処でしっかり食べ、漫画を読み、ひと眠りする。施設の中にあるものを一通り使い尽くしたあと、深夜料金が加算される前にさっと引き上げる――そんな流れがいつもの過ごし方だ。

あの天下の星野リゾートが手がける温泉なのだから、「顧客体験」が期待を裏切るはずがないと思った。そこで当初の旅程では、二日目に宿をチェックアウトしてから東京へ戻るまでのほぼ丸一日を、トンボの湯に捧げるつもりでいた。ところが、宿を出た時間はそう遅くなかったにもかかわらず、見て回るのも買い物するのも楽しい「ハルニレテラス」にすっかり足止めされてしまった。トンボの湯の入口にたどり着いた頃には、もう昼を過ぎていた。

料金を払って入場したその瞬間から、何となく様子がおかしいと感じていた……。
「料金を払って入場する」?普通は、館内ではリストバンドで買い物やサービスの料金を記録して、最後に退館するときにまとめて精算するものではないのか?

いや、ここではすべての入浴客が、入口の小さな受付で料金を払ってからでないと入れない仕組みになっている。しかもその受付を抜けると、左に男湯、右に女湯と建物自体が分かれていて、入った瞬間に夫婦だろうとカップルだろうと容赦なく引き離される。

マッサージは? 食事処は? 風呂上がりにだらだらと寝転べるテレビ付きのリクライニングチェアは?――そんなものは一切ない。ここはただ湯に浸かるためだけの場所で、入浴後にそのまま長居させるような仕掛けは、何ひとつ用意されていなかった。

とはいえ、ここまで来てしまった以上どうしようもない。二時間半後に同じ場所で落ち合うことだけ決めて、妻と別れ、それぞれ男湯と女湯の入口へと向かった。このときの感情は、失望というよりは、むしろ軽い苛立ちに近かった。天下の星野リゾートともあろうものが、どうしてこんなにもパートナーと「共有」できない造りの施設になっているのだろうか。

ぶつぶつ文句を言いながら靴を脱ぎ、更衣室へと足を踏み入れる。……まあ、更衣室はたしかに広い。とはいえ、ここは入浴以外にやることがないのだから、広く取られているのも当然といえば当然だ。

そして浴場へ入る。――たしかに広い。だが、ここは入浴以外にやることがないのだから……いや、ちょっと待て。広い、というよりも、そもそもこの天井、高すぎやしないか。これほどの高さの内湯は、さすがに見たことがない。しかも、その空間のつくりが息をのむほど美しい。すっぽんぽんの自分がそのまま一枚の絵の中へ足を踏み入れてしまったかのような、不思議な感覚にとらわれた。

Ⓒ 星野リゾート

内湯のあの大きな窓からでも、すでに山の景色は十分すぎるほど味わえていたのだが、いざ外に出てみると、またしても面食らった。露天風呂が、とんでもなく広い。普段自分が慣れている外湯の、ざっと五倍か六倍はあるだろうか。

しかもここは、いわゆる美容湯だの炭酸泉だのといった類は一切ない。サウナ用に用意された小さな水風呂を除けば、目の前に広がっているのは、ただひたすら一面の温泉だけだ。そのうえ、湯の縁には水深十センチほどの「寝湯」が設けられていて、体を完全に横たえたまま湯に浸かることができる。

もともと、妻と約束した二時間半という時間は長すぎるのではないかと心配していた。あれこれ種類の違う湯を行き来することもできないのに、すぐに飽きてしまうのではないか、と。だが、それは完全な杞憂だった。

広大な湯船は森にぐるりと囲まれていて、場所を少し変えるだけで、見える景色がまるで違ってくる。内湯の造りもまた露天とは異なり、絶妙な深さが、あの大きく天井の高い窓辺にもたれかかるのにちょうどいい。風が運んでくる、枝葉の揺れる気配を、そのまま肌で受け止めるような感覚があった。

あちこちに腰を下ろしたり、あちこちにもたれかかったりしているうちに、二時間は本当にあっという間に過ぎていった。あの水深十センチほどの寝湯だけでも、三、四十分は平気で横になっていたと思う。浴場内では当然ながら携帯電話の使用は禁止されているし、雑誌や新聞、テレビといったものも一切ない。その二時間あまりのあいだ、外界からの刺激に触れることはまったくなく、一人で入ってきた自分に会話の相手がいるはずもない。そうして気がつけば、自分はこの単一の温泉の世界にすっかり浸りきっていた。穏やかだったとも言えるし、満たされていたとも言える。

そんな時間を、最初は持て余すのではないかと考えていた自分の浅はかさが、ただ恥ずかしかった。トンボの湯が提供しているのは、多様で娯楽的なサービスではない。そこにある自然の要素をそのままに、「湯に浸かる」という体験そのものを、完璧なまでに純粋なものへと突き詰めようとしている。

男湯を出ると、妻はすでに女湯の入口脇の椅子に座って待っていた。二時間半では短すぎる、という点では意見は一致した。次に来ることがあれば、少なくとも半日はここで過ごしたい。とはいえ、その「次」がいつになるのかは、今のところまだわからない。

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