Asma NOTE

Years of rambling from a midlife otaku.

30 年の風格と気骨──松本大洋『東京ヒゴロ』から読みとったマンガ人生

1983 年、高校 2 年生の松本くんは、母親の紹介で大友克洋や吉田秋生の作品に触れ、マンガの魅力に取り憑かれた。二年後、初めてペンを握り創作を始めた彼は、『週刊モーニング』で連載中だった作家・土田世紀を尊敬していたことから、講談社を投稿の第一歩に選んだ。二年間の努力の末、松本は 1987 年に『STRAIGHT』で「四季賞」の準入選を果たし、同作は同年、『月刊アフタヌーン』の増刊号に掲載され、大学生・松本大洋は正式にマンガ界にデビューした。

デビューしたばかりで自分を天才だと信じていた若き松本くんは、アルバイトをすぐに辞め、大学も休学してしまった。しかし、連載版『STRAIGHT』は単行本 2 巻分しか描かないうちに打ち切りとなり、そこで自分がどれほど甘かったかを思い知らされることになった。連載終了後、大洋は丸一年もの空白期間を経験するが、小学館の編集者・堀靖樹から声がかかり、ようやく『ビッグコミックスピリッツ』で次作『ZERO』を発表する機会を得た。その後、『花男』『鉄コン筋クリート』『ピンポン』といった読者にお馴染みの名作も、すべて『ZERO』以降、同誌で連載された松本大洋の作品である。

『ビッグコミックスピリッツ』とはどのようなマンガ雑誌かというと、高橋留美子の『めぞん一刻』、窪之内英策の『ツルモク独身寮』、柴門ふみの『東京ラブストーリー』『あすなろ白書』、浦沢直樹の『20 世紀少年』など、台湾でも広く知られる名作を多数輩出してきた青年向け週刊誌である。青年向け作品は少年誌と比べて自由度が高いとはいえ、松本大洋の作品は『スピリッツ』の中でも非常に異彩を放つ存在だった。小学館を代表する看板青年マンガ誌として、当然ながら非常に重い業績プレッシャーも背負っていた。

『ZERO』『花男』は連載期間中の読者アンケートでは常に下位に甘んじ、『鉄コン筋クリート』に至っては人気不足で打ち切り寸前となったが、編集の堀靖樹が力を尽くして守ったことで、かろうじて単行本 3 巻分まで続いた。『ピンポン』以降になって、ようやく一般読者も松本大洋作品特有の魅力を理解し始める。

しかし『ピンポン』連載後、松本大洋の体力は限界に達していた。週刊連載作家の多くは、整ったアシスタント体制を控えているが、松本大洋は背景から脇役まで自分の手で丹念に描くタイプであり、週刊連載とは「寝る時間どころか、コーヒーカップを洗う時間すらない」という状況を意味していた。

Ⓒ 小学館

その頃、『ビッグコミックスピリッツ』の別の編集者が大洋の苦悩を目にし、「連載せず、一冊まるごと書き下ろし」という形での出版を提案した。2000 年、完成までに実に三年を費やし、ほぼ 500 ページに及ぶ長編大作『GOGO モンスター』が、松本大洋と後の『月刊 IKKI』編集長・江上英樹の初めてのコラボレーションの扉を開くこととなった。

《GOGO MONSTER》大塊文化 © 松本大洋 / 小学館

江上英樹は小学館においても、かなり目立つ編集者の一人である。能條純一先生の『月下の棋士』や江川達也先生の『東京大学物語』といった名作を手掛けただけでなく、吉田戦車先生の『伝染』に代表される「不条理」ギャグマンガブームの裏でも、その功績は計り知れない。この松本大洋を週刊編集部から “さらって” きた江上氏は、まさに「作家の盗人」と呼べる常習犯である。80 年代末にはすでに、講談社『月刊アフタヌーン』四季賞受賞者であり、『週刊モーニング』の連載作家でもある土田世紀先生(そう、松本くんが高校時代に尊敬していたあの土田世紀)を『スピリッツ』に引き抜き、新連載を担当させていた。江上氏は 2019 年のインタビューでこう語っている…

当時、ツッチーは故郷の秋田に住んでいたので、
さっそく日帰りで会いに行ったんです。
でも、講談社の新連載がはじまったばかりで、
結局、連載2本分、待つしかなかった。

その間もツッチーとは定期的に、
秋田駅前の喫茶店で打ち合わせをしました。
で、91 年になって、
ようやく『俺節』をスタートさせました。

なぜ「演歌」をテーマにしたんですか?
彼のほうから「演歌をやりたい」と。
それで「演歌、いいじゃん!」って即決になりました。

この江上英樹は、作家に描かせたいものを描かせ、語らせたい物語を語らせる編集者であることが明らかだった。

2000 年 11 月 30 日、隔月刊の『スピリッツ増刊 IKKI』が発行した。ちょうどそのとき、大洋先生は『GOGO モンスター』を終えたばかりだった。『ピンポン』の週刊連載地獄を経験した後、彼はヨーロッパのマンガのように、「締め切りなしで単行本を出す」という出版方式こそが、夢に描いていた創作スタイルだと思っていた。しかし、三年もの時間を費やして生み出した大作は、彼に別の意味での「孤独+ゴールの見えない」無間地獄を味わわせた。

「作家の盗人」江上編集長は、そのタイミングを見逃さず、再び松本大洋に魔の手を伸ばした。

《SPIRITS 增刊 IKKI》隔月刊 Ⓒ 小学館

創作の過程では適度な締め切りのプレッシャーは必要ですが、週刊連載の過労地獄を繰り返したくないですか?でしたら、ぜひ『IKKI』の大家族に参加してください!(ウソ)

上記は筆者の脳内補完によるセリフではあるが、江上英樹は「IKKI 10周年」のインタビューで確かに明言している。週刊誌向きではない作家の方々に強く惹かれるところがあって。大洋さんをはじめとした、こだわり派の作家が活躍する場を作りたかった。

3 か月ごとにシングルを出す歌手もいれば、2 年に 1 枚のアルバムで存在感を示す歌手もいます。どちらが良い悪いという話ではなく、さまざまなタイプがあるということです。

このような非主流作家向けに作られた環境と体制が、やはりすぐ松本先生の心を捉えた。『スピリッツ増刊 IKKI』の看板作家となって、創刊号の目玉作品である『ナンバーファイブ 吾』は、『IKKI』で 5 年ほど連載されることになった……。

松本大洋以外にも、『スピリッツ増刊 IKKI』は、日本の成人向けマンガ界の伝説――山本直樹(森山塔)の新作『安住の地』、脚本家の坂元裕二と平凡・陳淑芬による短編『藍調 : blue note』、ホラーの巨匠・伊藤潤二の『阿彌殻断層の怪』、さらに講談社『月刊アフタヌーン』出身の黒田硫黄による新作『セクシーボイスアンドロボ』、そして林田球の『異獣魔都』などを網羅していた。

2 年 3 か月後の 2003 年 3 月 25 日、『月刊 IKKI』が正式に創刊した。『スピリッツ増刊 IKKI』の精神を受け継ぎ、多くの非主流の実力派作家を大胆に起用し、実験的で個性的なテーマの連載陣を揃えたこのマンガ雑誌では、誌面のデザインや「IKKI COMIX」シリーズの単行本の装丁も、長年小學館のマンガ雑誌を手掛けてきた「Bay Bridge Studio」ではなく、祖父江慎のスタジオ「Cozfish」が担当することになった。

この世間のマンガファンから「小學館の『アフタヌーン』」「小學館の『GARO』」と称される新しいマンガ誌から、無限の可能性を見ることができる。『月刊 IKKI』の編集長・江上英樹は、創刊号で読者に向けてこう語り、この雑誌の野心の大きさを示した。

コミックは,未だ「黎明期」である。

この気魄みなぎる、狂気じみた宣言の裏で、編集部は「非主流」マンガ誌が市場でどれほど厳しい戦いを強いられるかを、身をもって理解していた。増刊第 1 号から『異獣魔都』を連載していた林田球も、当時の担当編集・堀靖樹(松本大洋を講談社から小學館に引き抜いた慧眼の持ち主)から、連載開始当初にこう言われたことを語っている。「『IKKI』がいつなくなるかわからない。いつでも終わる覚悟をしておけ」

不思議なことではないだろう。『月刊 IKKI』の発行部数は創刊初年度の 34,000 部から、4 年目には 1 号あたり 16,000 部を下回るまでに減少していた。雑誌自体の発行部数は少なかったものの、単行本の売り上げは何とかブランドの利益を赤字にしない程度には確保していた。しかし、出版業界全体の不況は数字の下落を止めることはできず、2014 年 9 月、『月刊 IKKI』は休刊を発表した。休刊間近の残り 3 号の発行部数は、いずれも 8,000 部を切っていた。

江上英樹は『SPIRITS 増刊 IKKI』の時代から『月刊 IKKI』の休刊まで、編集長の座を一度も離れることはなかった。一方、松本大洋はこの 14 年間で、5 年間にわたって連載された『ナンバーファイブ 吾』だけでなく、児童養護施設の子どもたちを題材にした半自伝的作品『Sunny』も手がけ、『IKKI』とともに 2010 年から最終号まで歩み続けた。

マンガ家として死ぬまでに絶対描いておきたいものがある、それを IKKI で描きたいと言ってくださって。その作家の人生にとって大事な 1 作を描きたいと思ってくれる場所。10 年かけて、IKKI がそんなレーベルになっているとしたら、すごく嬉しいですね。

『月刊 IKKI』が休刊した 2014 年 10 月、江上は 32 年間勤めた小學館に別れを告げた。

《月刊 IKKI》休刊號 Ⓒ 小学館

自ら立ち上げたマンガ誌の休刊の責任を取るため、50 歳を過ぎたベテラン編集者・塩澤和夫は、30 年間勤めた「小学社」を辞めるだけでなく、マンガを自分のこれからの人生からも手放す決意をした。

塩澤は中古書店の業者を呼び、何千冊ものマンガ蔵書を整理して処分する準備を進めた。しかし、最後の箱に封をして立ち上がり、家の外に運び出そうとした瞬間、底の貼り付けが甘かった箱から本がばらばらと床に落ちてしまった。塩澤は床に散らばった本を見つめ…… 結局、数十年にわたり自分の人生を支えてきた、何千冊もの宝物を残すことにした。同時に、自分はやはりマンガから完全に離れることはできないのだと実感した。

《東京日日》大塊文化 © 松本大洋 / 小学館

しばらくして、塩澤はマンガ家・立花礼子の葬儀に参列した。この亡くなった立花先生は、若き日の塩澤が編集者として初めて担当したマンガ家だった。葬儀が終わり、帰ろうとしたそのとき、立花礼子が目の前に現れた。亡くなった作家が、自分の葬儀の場で塩澤と昔話をしていたのだ。

「小学社」所属の人気マンガ家として、立花礼子は当時、人気絶頂の時期に非常に苦しんでいた。ある日、立花はこれからは自分が本当に描きたいものだけを描くと決めた。そしてその瞬間から、立花礼子という名前は「ベストセラー作家」という肩書きから徐々に遠ざかっていった。市場で受け入れられなくなっても、塩澤は彼女の作品を変わらず支え続けた。立花礼子の担当編集者を続けなくなってからも、新作が発表されるたびに、塩澤は欠かさず読後の感想を手紙で報告していた。

もう一度塩澤君と組んで何か作りたかったな……それだけが少し心残りかしら……

故人のマンガ家が、淡々と塩澤の目の前で語りかけた。

ねね、知ってる?塩澤君。

人は誰でもいつか死んでしまうみたいよ。

《東京日日》大塊文化 © 松本大洋 / 小学館

立花宅を後にした塩澤は、その夜、かつて担当していたマンガ家・宮崎長作のもとを訪ね、原稿の依頼を行った。塩澤は、自分の退職金を資金として用い、フリーの編集者として、再び心に描く「理想のマンガ誌」作りに挑戦することを決意した。その目標のため、塩澤は尊敬するマンガ家たちのもとを次々と訪ね、原稿依頼の旅を始めたのだった。


松本大洋の最新作『東京ヒゴロ』の物語を読むと、この数十年間、マンガ業界で作者が接してきた人や出来事を連想せずにはいられない。もちろん、主人公・塩澤和夫の、几帳面すぎてやや堅苦しい人物像は、『IKKI』編集長・江上英樹の性格とはまったく異なる。ましてや、塩澤は自分が担当した創刊誌がわずか 2 年で休刊したことを責任として退職した人物であり、『月刊 IKKI』は『SPIRITS 増刊』の 3 年を除いても、十年以上発行されていたため、単純に比較することはできない。しかし、クレジットページに記された「編集協力:江上英樹」を見る限り、原型そのままではないにせよ、松本大洋が『東京ヒゴロ』の中に江上編集長(そして自身)の経験や理念を反映させていることは間違いない。

筆者の、40 年以上日本マンガを読み続けてきたオタクの目からすると、『東京ヒゴロ』はマンガ家とマンガ編集者の「風格」と「気骨」を描いた作品だ。

第一話で、塩澤が退職当日、まずかつて担当していたマンガ家・宮崎長作先生のもとを訪ねた。数年前から担当外となっていたにもかかわらず、50 分かけて足を運び、退職の報告をするとともに、「もうすぐマンガ業界を離れる編集者」として、長作先生にこのような「最後の助言」を伝えた。

この数年来たわたり、あなたの作品からは…命というものが感じられない……

あなたには再び輝いていただきたい……漫画から逃げないでいただきたいのです。

《東京日日》大塊文化 © 松本大洋 / 小学館

後輩編集者に引き継がれたマンガ家・青木収の最新原稿を見た塩澤は、瞬時に作者の核心的な弱点を見抜き、それが作品に反映された欠点を容赦なく指摘したが、次の瞬間には、原稿に秘めた「可能性」も同時に見出した。

ああ…全て出ている…彼の悪い所が……!

いや……でも、大丈夫……
スジは悪くない,立て直すことはできる…

これらの描写からわかるのは、塩澤が単にプロの編集者としての眼を持っているだけでなく、作家や作品そのものへの深い愛情に突き動かされているということだ。塩澤だけではない。後輩編集者・林里利子が青木収を前に感じる挫折や苦悩、そして揺るぎない信念――そのすべてもまた、心の底から「マンガ」を愛しているからこそ生まれる感情なのだ。

塩澤のまわりに登場するマンガ家たちは、誰も自分がダイヤの原石だと見抜いてくれないと思い込んでいる新人の青木をはじめ、かつて栄光をつかんだベテランの宮崎長作など、さまざまだ。だが、彼らに共通しているのは、みな心の底からマンガを愛しているということだ。

塩澤が「理想のマンガ誌をつくる」と決意して原稿を依頼していく相手には、マンガ業界に絶望し、もう二度とペンを取らないと誓った老作家や、第一線を離れてすでに十数年が経ち、家庭にすべての時間を捧げてきた元マンガ家の主婦もいる。読者は、塩澤からの依頼が彼らにもたらした衝撃を、ひしひしと感じ取ることができるだろう。そして、その衝撃の根底には、どんな形であれ「マンガへの愛」が確かに息づいている。

『東京ヒゴロ』に登場する人物たちは、誰もが心の底からマンガを愛している。だが残酷なことに、いったん業界の中心に身を置けば、「現実」という名の矛盾や葛藤と常に向き合わなければならない。その愛が報われなくても彼らはマンガから離れられず、たとえ関係を断ち切ろうとしても、心の奥にある原初のときめきを無視することはできないのだ。

《東京日日》大塊文化 © 松本大洋 / 小学館

これは、愛ゆえにマンガを手放せない人々が、マンガの道で再び生まれ変わり、新たな一歩を踏み出す物語である。読者の人気投票や発行部数、売上といった――産業として決して無視できない要素をすべて取り除いたうえで、塩澤とその周囲のクリエイターたちは、その胸にくすぶる消せない情熱をいかに燃やし続け、彼(たち)にとっての「理想のマンガ」を紡ぎ出すのだろうか。

松本大洋が『東京ヒゴロ』を通して私たちに見せたかったのは、その「紡ぐ過程」そのものである。そして、その過程こそが、すでに最も美しく、最も感動的な光景なのだと思う。

BIOS monthly(2023/07/31)に掲載

留言

コメントを残す

Asma NOTEをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む