Asma NOTE

Years of rambling from a midlife otaku.

ほのぼのとした記号遊び『ギガタウン漫符図譜』

「マンガの見方を教える?」

マンガの山にどっぷり浸かってもう数十年。正直なところ、「マンガの読み方」を人に教えてもらわないといけないなんて話なら、読む側よりも、そちらのマンガ(作者や編集者)のほうを叱って叩くべきだと思う。「マンガ」というメディア自体、歴史はまだ浅く、多くてもせいぜい百年ほど(古い絵巻物や戦前の風刺画のような『マンガ原型』は別として)。しかも、現在の主流のマンガ表現――絵記号、コマ割り、構図の文法――のほとんどは、ここ四、五十年ほどで確立され、一般読者の読み方に合わせて練り上げられてきたものだ。私にとってこの表現形式は空気のように自然であり、「取扱説明書」などまったく不要である。

そう、「取扱説明書」の話だ。十年以上前、新しい携帯電話に買い替えると、メーカーはまるで小さな電話帳のような分厚い説明書を用意してくれたものだ。だが今では、新しいスマホを手にしたら、みんな自分の身体で操作に慣れていく。もし使いにくければ、ユーザーはネットで UI のダメさ加減を罵るだけで、説明書の有無なんて誰も気にしやしない。同じことだ。マンガの視覚言語で読者が「わからない」と感じるなら、それはもちろん表現者の責任であって、読者に勉強させるなんて論外である。

しかし、こうの先生のあとがきを読むと、まるで思い切り殴られたかのような衝撃を受けた。この世界には確かに、「マンガの文法」に不慣れな人々が存在する。私にとっては空気のように当たり前の存在だが、そもそもこれは何十年もの積み重ねを経て生まれた文化的な言語なのだ。

《漫符圖譜》木馬文化 Ⓒ 河野史代 / 朝日新聞出版

白目を剥くことで晴天霹靂のような衝撃を表現する手法は、美内すずえの『ガラスの仮面』に由来する。

背景に飛び交うトンボを描くことで呆れるような沈黙の瞬間を表現する手法は、北条司の『シティーハンター』に始まる。

困惑や不運に遭った際に波形の口元を描く表現は、藤子不二雄が『ドラえもん』以前の作品で多用していたものだ。

《漫符圖譜》木馬文化 Ⓒ 河野史代 / 朝日新聞出版
Ⓒ 美内すずえ / 白泉社

何度も鍛え抜かれた視覚記号にはすべて辿るべき脈絡がある。しかし、その空気を吸ったことのない者にとっては、まったく別の国の言葉に等しい。私が抱いていた「読者に努力を求めるなんて」という批判も、実は閉ざされ、傲慢な差別心に他ならなかったのだ。

実は私も、ここ数年になって初めて映画『この世界の片隅に』を通して、こうの史代先生の存在を知った。劇場で涙を堪えられないほど打たれた後、帰宅途中に原作を探してすぐ読み始めたほどだ。こうの先生の繊細な画面演出と素朴なタッチには、温かい魔力が宿っている。作品を「読む」というよりも、こうの先生自身が語る物語によって、読者はそっと優しく抱きしめられているような感覚を覚える。『この世界の片隅に』を通して、落ち着いた世代の女性作家が紡ぐ世界に秘められた力の大きさを、私は改めて知ったのだった。

《謝謝你,在這世界的一隅找到我》漫遊者文化 Ⓒ 河野史代 / 双葉社

一方、『ギガタウン漫符図譜』の世界は、読者にとってまたまったく異なる体験をもたらす。本作の宣伝文にもあるように、こうの先生は『鳥獣戯画』のキャラクターを使って物語を語っている。この国宝級の古絵巻が「日本最古のマンガ」と呼ばれる理由は、擬人化された動物キャラクターや、生き生きとした身体表現だけにあるわけではない。まず私たちが意識すべきは、七百〜八百年前、これらの作品は博物館に展示される文物ではなかったということだ。単幅の絵画とは異なり、絵巻は両手で巻きながら少しずつ画面を前に進める「時間軸」を伴った作品である。「マンガ」と「絵画」の最大の違いは、この「時間軸」の有無にある。平安時代に「マンガ」という概念はもちろん存在しなかったが、現代の視点で見ると、当時の人々は「絵で物語を語る」という、前例のない新しい試みに挑戦していたと言えるだろう。

鳥獣人物戯画(平安時代末期 – 鎌倉時代初期)

こうの先生がこれらのキャラクターを使って記号遊びを行うのは、編集担当の反応を意識してのこともあるだろうが、作品に「承前啓後」の象徴的意味をもたらすという点も無視できないと思う。一本の「外国語入門書」として見れば、『ギガタウン漫符図譜』はもちろん、とても親しみやすい教科書でもある。実際、マンガ特有の図像記号はそれほど理解しづらいものではない。「悩み」「緊張」といった状態や、ある「動き」を例示するだけなら、四コママンガを描いて具体例として示すのはそれほど難しい作業ではない。しかしマンガ言語の面白いところは、同じ一つの記号でも、場面や位置、方向が変わるだけで、たちまちまったく異なる意味を持つようになる点にある。

《漫符圖譜》木馬文化 Ⓒ 河野史代 / 朝日新聞出版

小学校で漢字を教えるとき、同じ漢字でも使い方によって読み方が異なる字を使い、意味の違いを一つの文章にまとめる例文を作ることがあるだろう。『ギガタウン漫符図譜』がやっているのは、まさにこの「文章遊び」のマンガ版である。複数の、異なる意味を持つ同じ図像を、一つの「起承転結」の中にまとめているのだ。この遊びの難しさを例えるなら…… 先ほどの、同じ漢字でも使い方によって読み方が異なる字を使った文章例のようなもので、しかもそれぞれの文章がユーモアのある小ネタになっているようなものだろう。

こうの史代の他の作品とは異なり、『ギガタウン漫符図譜』の世界には、哀愁や蒼涼、あるいは劇的な感情の奔流のような力強さはあまり感じられない。ただの小品コメディであり、あちこちに精巧な仕掛けが施された小品コメディである。現代において「図像記号」に馴染みのない人はそれほど多くないかもしれないが、本を閉じたとき、まるでマンガの言語をまったく知らないこうの先生のお母さまが、微笑みながら娘が自分のために描いた「マンガの説明書」をめくっているのが見えるような気がした……。おそらく、こうの史代の筆が紡ぐ世界だからこそ、私たちはこんなささやかな温もりを受け取ることができるのだろう。

博客來OKAPI(2018/10/15)に掲載

留言

コメントを残す

Asma NOTEをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む