Asma NOTE

Years of rambling from a midlife otaku.

特車2課と私

『機動警察パトレイバー』に初めて触れたのは……確か89年頃だったと思う。済南路の果物屋の隣にある、わずか二坪ほどの、週末の夜ともなれば各地から集まったオタクたちで溢れかえる小さな模型店。あの日、店内の小さなテレビで流れていたのが、『パトレイバー』初期OVA(Original Video Animation)の第一話だった。

新設された「特車二課」第二小隊が、渋滞に巻き込まれた新型機を強引に受け取るため、高速道路へと向かう。ストーリーはちょうど、主人公がコックピットに乗り込み、起動した機体が高架橋上のトレーラーから下の一般道へと飛び降りる場面だった。しかし、観客は無線から流れるセリフと、背景のドタバタという効果音から、その混乱を極めた機体引き渡しの光景を脳内で補完するしかなかった。

店長のボス黄は振り返り、私に向かってにやりと笑いながら小声で言った。

「この演出はすごいよ。派手なアクションを起こす予算はなくても、ドラマとしての効果は抜群だ。それどころか、セリフだけでキャラクターの性格まで引き出している」

高校生だった私は、ボスのこの一言で、初めて「演出」という魔法が作品に与える響きを意識した。

超低予算の半実験作ながら、ふたを開けてみれば市場の反応は爆発的だった。初期OVAは全6+1話、翌年7月には早くも劇場版が公開。その後もTVシリーズ、新OVA、劇場版第二作へと続いていく。業界の仲間が温泉旅行の雑談から悪ノリで始めた企画が、いつしか一世代のオタクの共同記憶となったのだ。

1988年に誕生した『機動警察パトレイバー』が描いたのは、わずか10年後という、すぐ手の届きそうな近未来であり、そのリアリティはSFであることを忘れさせるほどだった。SF要素以上に、魅力的なキャラクター、徹底された「日常」の描写、そして「官僚」への恐るべき的確な風刺こそが、本作の持ち味であり、最大の魅力だ。本広克行監督も、代表作『踊る大捜査線』は本作に多大な影響を受けたと公言している。

『パトレイバー』シリーズは、私がためらうことなく「ガチファン」を自認できる数少ない作品の一つだ。これまでの人生で最も繰り返し観た映画は、おそらく劇場版第一作だろう。人生で初めて買ったLD――レーザーディスク(今や知る人も少ないだろうが)でもある。当時、雑誌『神奇地帶』が休刊したあと、高校を卒業したばかりで兵役を控えていた私は、半年以上をかけてリバイバル号である『神奇復活特刊』の編集に明け暮れていた。私心から、全体の3分の1近くを「パトレイバー特集」に割いた。結局、その本が出版されることはなかったが、JT氏の尽力と、談璞(タン・プー)氏の熱いサポートのおかげで、その内容はのちに『無名的書』という伝説の同人誌にすべて収録された。

JT氏は、幻の復刊二号用の記事だけでなく、私が兵役に行ってから追加で集めたり書いたりした原稿もすべて、この一冊に詰め込んだ。

2000年には雑誌『image』でパトレイバーの紹介記事を執筆し、渡日した2002年には、十数年ぶりのシリーズ第三作となる劇場版『WXIII 機動警察パトレイバー』の公開に立ち会い、雑誌『開拓動漫』にレビューを寄稿した。

『WXIII』も嫌いではないが、あの頃の熱が戻ることはなかった。劇中のキャラクターたちにとって、1992年の新OVA最終話はあまりに見事な幕引きだったし、21世紀初頭の東京という時代背景を考えても、1993年の劇場版第二作こそが、完璧な終止符だったのだと思う。「パラレルワールド」として描かれた劇場版第三作は、さながら教室で開かれた同窓会のようだった。見慣れた校舎や机の落書き、旧友の顔ぶれに再会できた嬉しさはもちろんあるが、当時ともに騒ぎ明かした青春そのものとは、やはり比べるべくもない。

2014年、原作グループ「HEADGEAR」の一員である押井守監督が、他のメンバー4人に断りを入れることなく、実写化プロジェクト『THE NEXT GENERATION -PATLABOR-』を立ち上げた。そのドラマシリーズを私は今にいたるまで観ていないが、2015年に公開された劇場版『首都決戦』を観たあとでは、わざわざドラマ版まで遡って補完しようという気力は完全に失せてしまった。

『首都決戦』の公開から二年後、ネットで新アニメ『機動警察パトレイバーEZY』の制作開始というニュースが流れた。その記事を目にしたときの私の心境は、「複雑」というよりは、どこか冷めていた。いまも変わらず『パトレイバー』を深く愛してはいるが、押井監督のおかげで、このシリーズは自分の中で1993年の劇場版第二作をもって終わったのだと、むしろ確信に変わっていた。

時は流れて2026年。制作発表から9年の歳月を経て、ついに『EZY』が劇場公開されることになった。私は、期待しなければガッカリすることもないと、あえて一歩引いた目で見ていた。どうせ公開直後に劇場へ駆けつけた往年のファンたちも、ネット上でろくな感想を上げていなかったし。

「わざわざ映画館まで観に行く必要もなさそうだ。そのうち配信かテレビで流れたら観ればいい」

最初の数週間こそ斜に構えていられたものの、次々と入ってくる情報に、私の心は次第に揺らぎ始めた。今回のアニメ『EZY』は、押井監督の実写版を観た「HEADGEAR」の残り四人が、「パトレイバーをこんな風にされてたまるか!」という意地から立ち上げた企画と言ってもいい。かつてのガチファンとして、制作陣の熱量が自分とシンクロしていると知ってしまえば、もう好奇心を抑え込めるはずがなかった。

先日、ついに劇場へ足を運び、(自分の中で)三十数年ぶりとなる新作を見届けた。台湾でいつ公開されるかは分からないが、もしあなたも私と同じように、かつてこの作品に情熱を注いだオールドファンなら、きっと失望はしないはずだ。たしかに「楽しい同窓会もただの同窓会」と書いたばかりだが、卒業して10年未満で開かれる同窓会と、30年が経ってから集まる同窓会とでは、やはり胸に去来する思いが違うのだろう。

主人公こそ交代したものの、ストーリーの方向性や演出のテンポ、笑いのツボ、題材にいたるまで、すべてが三十数年前のあの頃のままだ。近年の世界的なヒット作と比べ、「まったく野心が感じられない」と不満を漏らす人もいるだろう。それも分かるが、私はまったく気にしない。ミームも分からずTikTokにもついていけないオジオバたちが、何十年ぶりかに集まり、当時のクラスメイトにしか通じない身内ネタでゲラゲラと笑い合う――それだけで、もう十分に楽しいのだから。

何より、三十数年の歳月を経て、自分と同じように腹が出て白髪の混じったあの昔馴染みの面々が、いまも少し先の未来の東京で、それぞれの人生を歩み続けている。その姿をこの目で確かめられただけでも、わざわざ劇場へ足を運んだ価値はあったと思う。

留言

コメントを残す

Asma NOTEをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む