家から歩いて6、7分ほどのところに、すでに四分の三世紀以上営業を続けている銭湯「巣鴨湯」がある。
1949年の創業以来、2026年の今でも営業を続けているこの銭湯は、外観だけ見れば決して目を引くようなものではない。東京に数多く残る、大きな煙突を掲げ、いまも薪で湯を沸かしている同世代の古い銭湯と比べると、小さなアパートの一階に入っている巣鴨湯は、どこか昔ながらの風情に欠けている。そのせいもあって、ここへ足を運んで湯に浸かろうという気分には、なかなかならないのだ。
大塚に引っ越してから九年目に入った2022年の上旬、ようやく妻と一緒に、初めて巣鴨湯の暖簾をくぐった。内装や設備には年季が入っているものの、決して荒れているわけではなく、むしろ隅々まできちんと清潔に保たれている。そして何より、この銭湯にはサウナがある。
電車に乗って遠出する必要もなく、歩いて十分もかからない場所で、ほんの四、五百円を足すだけで「整う」ことができる――そんな手軽さに、これからは定期的に通おうと妻と胸を弾ませていた、その矢先だった。入口に貼られた一枚の張り紙が目に入る。
「館内改装工事のため、来週より休業いたします」
……さっきまでの浮き立つ気分が、一瞬で冷めてしまった。改装が終われば営業は再開されると分かっていても、やはりどこか拍子抜けしてしまう。それに、こんな“宝の山”のそばにいながら、その価値に気づいたのが今になってからだという事実にも、少なからず悔しさを覚えた。
その後しばらくのあいだ、ここを通りかかるたびに、つい改装工事の進み具合が気にかかってしまった。とはいえ外から眺めても、下ろされたシャッターが目に入るばかりで、様子をうかがいようもない。
そして半年あまりが過ぎた10月8日、巣鴨湯はついに営業を再開した。再開初日には、巣鴨商店街のマスコット「すがもん」まで駆けつけ、にぎやかに花を添えていた。

2010年代の中盤以降、SNSの普及に加え、サウナ体験を題材にした漫画『サ道』がテレビドラマ化されたことをきっかけに、「高温のサウナ→水風呂→休憩」という“整う”の黄金ルートが徐々に注目を集めるようになった。さらにメディアの後押しも重なり、日本ではいわゆる「第三次サウナブーム」が巻き起こり、2026年の今に至っても、その熱はまだ冷めていない。
リニューアルを経た巣鴨湯は、まさに生まれ変わったと言っていい。今回の全国的なサウナブームの勢いを見込んだのだろう、改装後の浴場には、サウナ利用者を強く意識した工夫が随所に施されている。わずか9〜10人ほどしか入れない小さなサウナ室でありながら、「おけシャンロウリュ」システムが導入されていて、頭上に吊るされた銅の桶から、20分ごとに自動で水がサウナストーンへと注がれる。そのたびに室内の湿度と体感温度は一気に引き上げられる。
膝を軽く曲げれば肩までしっかり浸かれる、約15℃の水風呂も、サウナ初心者にはかなりやさしい設定だ。やや深めの造りのおかげで全身を効率よく冷やすことができ、体まわりの「羽衣」も安定しやすい。
そして肝心の「整う」ための環境だが、巣鴨湯では浴場のいちばん奥に、風通しのいい休憩スペースが用意されていて、そこにデッキチェアが八脚並んでいる。運よく、そのうち三脚だけの「ゼログラビティチェア」を確保できれば、下手な温泉施設など軽く凌いでしまうほどの「整う」体験が味わえる。
実際、この三代目オーナーの読みは間違っていなかったようだ。2026年の今でも、平日・週末を問わず、巣鴨湯はいまだに都内でも数少ない、整理券を取って順番を待つ必要がある銭湯の一つである。再開後というもの、私と妻も月に一、二度は足を運ぶようになり、ここ数年で自分なりの“攻略ルート”のようなものも、だんだんと出来上がってきた。
どの公衆浴場でもそうだが、大浴場に入ったらまず最初に、頭からつま先までしっかりと体を洗い流す。洗い場には、高級なマイクロバブルのシャワーヘッドが並ぶ一角もあって、たしかに面白いのだが、混んでいるときは結局、備え付けのシャワーでも不自由はない。
ひととおり身を清めたあとは、時計を見ながらサウナに入るタイミングを見極めることになる。「オートロウリュ」が作動して二、三分もすると、熱さに耐えきれず、どっと押し出されるように出てくるおじさんたちがいる。あとで整うときに「ゼログラビティチェア」を確保する確率を少しでも上げたいなら、この一時間に三度やってくる“波”は、うまく外したほうがいい。
サウナに入ってからの座る位置にも、ちょっとしたコツがある。ここの温度はだいたい95〜105℃ほど(女性側はもう10℃ほど低めらしい)。無理せず10分間しっかり入りたいなら、自分にとっていちばん具合がいいのは中段の席だ。ただし、ちょうどオートロウリュが作動すると、中段は一気にきつくなる。そんなときは、一段目の“内側”の空きを狙うしかない。そう、外側ではなく内側だ。入口に近い外側の席は、人の出入りがあるたびに温度がすぐ下がってしまう。あのどうにも熱が乗りきらない感じは、かえってストレスがたまる。
しっかり温まったあとは、そのまま水風呂へ(入る前に全身の汗を流すのは忘れずに)。一分ほど浸かれば、あとは「ゼログラビティチェア」を取りにいくだけ。取れなくても別に大丈夫。普通のデッキチェアでも十分にととのえる。
三ステップの“黄金ルート”を一通りこなしたあとは、ようやく安心して巣鴨湯の湯船を楽しめる。三、五分ほどすっぽんぽんで寝転んでいると、体が少し冷えてくるので、まずは「中温泡風呂」で軽く温め直すのがいい。体が落ち着いてきたら、「ジェットバス(座湯・寝湯)」や、低周波の刺激が効く「電気風呂」で、ゆっくり体をほぐしていく。
ひと通りほぐれたところで、いよいよ「高温風呂(42℃)」に挑戦だ。中温風呂とはわずか2℃の差とはいえ、この2℃こそが、湯の“あたたかい”と“熱い”を分ける境目でもある。タイミングがよければ、「柚子湯」や「菖蒲湯」、「桜湯」といった季節の風呂に当たることもあるし、「とげぬきほうじ茶風呂」や「日本盛の日本酒風呂」、さらには「ゴジラ湯」といったコラボ限定の変わり種に出会えることもある。

全身がまたしっかり温まったところで、今度は自分がこれまで他では見たことのない、(個人的には)巣鴨湯いちばんの名物とも言える「低温風呂」を試す番だ。水風呂のような刺す冷たさではないにせよ、入った瞬間にはやはり軽く身震いする。だが二分もしないうちに、体はすっかりその温度に馴染んでくる。そこから先は、全身をやさしく包み込むような、途切れることのないひんやり感が続いていく。
巣鴨湯の二時間制は、自分にとっては「サウナの黄金ルート」と「五つの湯船めぐり」を、ゆったり三セット回すのにちょうどいい長さだ。欲張って四セット目に手を出すことも、まあ不可能ではない。そのぶん各工程を少しずつテンポよく進める必要はあるが。動きを速めると、濡れた床で滑ってしまいそうで不安になるかもしれないが、浴場の床には耐水性の樹脂製畳が全面に敷かれている。足当たりはやわらかく、しかもしっかりとした滑り止めになっているのだ。
最後に、すっかり満ち足りた気分で腰を上げ、体を拭こうとするその前に、巣鴨湯はもうひとつ小さなサプライズを用意している。脱衣所の一角に、ちょうどシャワーブースほどの大きさの「ボディドライヤー」と呼ばれる小部屋があり、天井には強力な送風口が二つ。そこに立って軽く体を回せば、全身の水分の八割ほどが一気に吹き飛ばされる。これもまた、他では見たことのない気の利いた設備だ。
服を着て番台へ戻ったら、本来ならコーヒー牛乳を一本ぐいっと飲んで締めたいところだが、厄介なことに巣鴨湯では生ビールまで出してやがる。そう、瓶や缶ではなく、大ぶりのジョッキになみなみと注がれ、縁にはきめ細かな泡がこんもりと乗った生ビールだ。アルコールのせいでなくとも、あそこまで一度リセットされてしまうと、帰り道はどうにも足取りがふわつく。
日常の中で「非日常の癒やし」を求めようとすれば、やはりそれなりのコストがかかるものだ。巣鴨湯は、家から歩いてほんの十分足らず、費用もせいぜい千円ちょっと。予約もいらず、特別な準備も必要ない。数週間に一度、思い立ったときにふらっと行けるこの回復スポットは、それだけで十分すぎるほどだ。

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