スッポンポンの自分はデッキチェアに寝そべり、体であの「ととのう」という過程を感じながら、頭の中のデータベースを探って「整う」という言葉にぴったり当てはまる中国語訳があるのかを考えていた。最近、銭湯やサウナに通うたびに、この疑問が何度も頭に浮かんでは自分を悩ませる。
長いあいだ、サウナに対して特別な感情を抱いたことはなく、人生で初めてサウナに入ったのがいつだったのかも、もう思い出せない。ただ一つ確かなのは、「サウナを楽しめるようになった」のは大人になってからだということだ。子どもの頃は、人をオーブンの中に閉じ込めて体中から汗を噴き出させる行為のロジックがどうにも理解できなかった。少し年齢を重ねてから、ようやく滝のように汗を流す快感というものが分かり始めた。とはいえ、その頃の若い自分はまだサ道の入口に立っていただけだった。
今世紀初に日本を訪れた頃、サウナ初心者だった自分は水風呂に入ることすらできなかった。もちろん勇気を出して試してみたことがなかったわけではない。しかし自分にとって水風呂に入るという行為は、十分間熱いシャワーを浴びたあと、自分の意志でシャワーの熱湯を一瞬で完全に止めてしまうようなものだった。その骨まで凍るような冷たさと、それに続く悲鳴は、想像に難くないだろう。
まあ、構わない。無理して苦行をする必要もないし、水風呂の良さを味わえなくても、人生に欠落が生まれるわけでもないのだから。そんな自分が勇気を出してコンフォートゾーンを一歩踏み出し、水風呂に挑戦しようと思ったきっかけは、「ととのう」という言葉が持つ世界に好奇心をかき立てられたからだった。
「整う」を中国語に直訳すると「整理」や「整頓」に近い意味になる。しかし近年、この言葉は日本語の中でほとんどサウナ専用の語彙として使われるようになっている。
摂氏 100 度近く、あるいは 100 度を超える灼熱の空間に身をさらしたあとでは、水温が体温に近くても冷たく感じる。まして十数度の冷水ともなれば、体感的には極地の海水とほとんど変わらない。鍵になるのはまさにその一瞬、勇気を出して肩まで水に沈めることだ。高温で 120%まで開ききった毛細血管が一気に収縮し、全身の体温調節機能が極端な状態から反対側の極端へと無理やり引き戻される。
悲鳴を上げたくなる衝動は、最初の三秒さえこらえてしまえばおさまる。その後は、体幹に蓄えられた熱が外へ向かって広がり、侵入してくる冷気に全身で抗っているのをはっきりと感じられる。この抵抗もたいてい三十秒も続かず、体はすぐに別の均衡状態へと調整される。まるで体の周りに二センチほどの膜ができたかのように、三十秒前には心肺まで凍らせるように感じられた水温が、次第に「涼しく心地よいもの」へと変わり、やがては少し「温かく穏やか」にさえ感じられてくる。
「快適さを感じ始めた」ことが水風呂から上がる合図だ。短時間のうちに極端な高温と低温の刺激を受けたあと、常温の環境に戻ると、体はすぐに温度感覚のバランスを常温における理想的な基準へとリセットする。そのとき一番重要なのは、安心して座れる、あるいは横になれる場所を見つけ、ゆっくりと体をその調和に戻していくことだ。これが「整う」の始まりであり、サウナの一連のプロセスはすべてこの瞬間のためにある。
人生で初めての「整う」は非常に印象深いものだった。全身がふわりと力を失ったようになりながらも、体の内側でエネルギーが流れているのを感じる。皮膚の表面には、かすかな痺れのような感覚があり、どこか生まれ変わったかのような錯覚さえ覚えた。目を閉じると、世界は暗く静まり返るが、その中にうっすらと光の気配を感じる。自分には宗教的な信仰はないが、この体験にはどこか神性を思わせるものすらあった。
整う=整理=物事を整然とした状態にする
この流れに沿って考えれば、サウナにおける「整う」が指しているのは、おそらく「体を最も理想的な状態にリセットすること」、つまり前述した「調和への回帰」ということだろう。
とはいえ、それを完璧に言い表せる中国語の言葉は、いまだに見つからない。

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