「Tears of Time」シリーズは、20 世紀末から 21 世紀初頭にかけて、数多の歴史文献から掘り起こされた化石 のような作品たちだ。恥力の限界を突破したのち、「若さ故の過ち」との反省を込めつつ、自分で記録して世に出したものでもある。
剣道の真意とは……抜刀の構えだろうか、剣の技だろうか、それとも剣を扱う者自身の「心」だろうか。
数年前、剣を学ぶ若者が師匠と共に旅をしていた際、悪党に遭遇した。相手は数が多く、若者は師匠を守るため、応戦の際に「剣」以外の兵器を用いた。結果的には敵を打ち負かしたものの、師匠は若者が「南蛮の兵器」を使ったことを理由に、「無天一流」の継承資格を認めず、門下から追放してしまった……。
生死の境に立ったとき、本当にそんな形式や規則を気にするだろうか。《無限住人》は、まさにこの問いを起点として物語を描き始める。物語の幕を開けるのは、「天津影久」という名の男である……。
凛は今日で十四歳になった。ただ父が家に連れて帰ってきたのは誕生日プレゼントではなく、まるで凶神のような、自ら「逸刀流」と名乗る男たちで、凛の父は「無天一流」の統主でありながら敵に抗うこともできず、一刀で無惨に斬り倒され、母は敵にあらゆる辱めを受けた末に命を奪われた……。
凛は生まれて初めて、最も悲しい誕生日を過ごした。彼女が決して忘れられないのは、あの時、あの一団を率いて家に踏み込んできた、天津影久という名の若い男の姿である。父母の仇は許し難いものだったが、凛は自分の剣の腕では決して復讐を果たせないことをよく理解していた。そこで彼は、不死身で「百人斬り」と呼ばれる万次のもとを訪れ、万次の超人的な剣技の力を借りて、両親への血の復讐を果たそうと考えた。こうして、二人による天津への復讐の旅が始まったのである……。
この二人は、天津の行方を探る旅の途中で、数多くの逸刀流の剣士たちと交戦した。万次の体内に宿る「血仙蟲」による不死の力を頼りに、彼らの戦いはなんとか「無敵」と呼べるものだった……。しかし、凛の「復讐」という目的のために重ねてきた血の報いも、天津影久に対して決して軽いものではなかった。ある事件で、凛は天津と単独で対峙し、天津が「逸刀流」を創設した理由を知ることになる。それは、すべての名門正派が説く「正道」を覆すためであり、最も無秩序な邪道でさえ、力によってすべてを証明しようとしたのだった!
凛はその瞬間、迷いを感じた。親を殺されたのだから当然復讐すべきだが、復讐のために奪われる命は本当に軽んじていいものなのだろうか。自分はこの男によって取り返しのつかないものを失ったが、「無天」によって天津が受けた苦難は、本当に父にまったく関係がないのだろうか。最も重要なのは、凛は天津の各地で挑戦者を蹴散らし、恨みを積む行為には納得できないかもしれないが、天津が世に伝えようとするメッセージに対しては、彼女は反論の余地すら持てないということだった……。
この作品で、凛の揺れ動く内面描写以外に最も魅力的なのは、やはりその画面である。言うまでもなく、作者・沙村広明の圧倒的な画力は特筆に値する。力強い筆致が生み出す動きやスピード感、一流の構図やコマ割り、そして完璧な人体プロポーション。実際のところ、《無限住人》は「日本刀を用いた剣戟の動作」をここまで鮮烈に描いた作品と呼べるだろう。特に、万次の豪華絢爛で光彩を放つ、まるで絵巻のような斬撃シーンだけでも、手に取って見て損はないはずだ!
親を殺した者への復讐という題材は、すでに何度も描かれてきたものだ。しかし、《無限住人》はまったく陳腐な印象を与えない。というのも、復讐者が自らの「復讐」という行為そのものの価値や意味を問い直すことは、滅多にないからである。凛が何度も自省し、旅の途中で出会うさまざまな人や出来事がもたらす衝撃は、凛自身の心を揺さぶるだけでなく、読者の価値観にも絶えず問いかける。
よく「血には血を」と言われるが、しかし、一滴の血を取り返すために、いったい何リットルの血が必要なのだろうか。
その文章はおそらく『自由時報』に掲載されたもの( 多分2001 年前後かと)

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