Asma NOTE

Years of rambling from a midlife otaku.

センパイ

最初に先輩の作品に触れたのは、たぶん《大西遊》だったと思います。家では台湾のマンガ雑誌を定期的に買っていたわけではないんですが、子どもの頃によく行っていた「談話頭」というレストランがあって、そこにはいつも《歡樂》と《星期》が山のように積まれていました。ページが何度もめくられて、しわしわでボロボロになったあの雑誌の山を通して、僕は阿推や鄭問、曾正忠、それから麥叔叔、任正華、林政德……そして先輩の作品を知ることになったんです。台湾マンガの黄金時代と呼ばれるあの頃、僕にとって皆さんは、時代を支えていた宗祖的な存在でした。

正直に言うと、《大西遊》を読んだときはそこまで強い印象は残りませんでした。でも《一刀傳》を読んだときは本当に衝撃を受けたんです。《星期》の読者投稿コーナーでこんなコメントを見かけた記憶があります。

陳弘耀の《一刀傳》が大好きです。これからも頑張って描き続けてください、きっと第二の鄭問になれると思います!

先輩はこの「褒め言葉」を読んだとき、きっと少し気まずかったんでしょう。それに対して、たしか編集部はこんなふうに返していました。

「お褒めの言葉はありがたいですが、『第二の鄭問』ではなく、『最初の陳弘耀』になれたほうが、もっと素敵じゃないでしょうか。」

まだガキだった頃の僕は、この返事を読んだとき、本当に強く共感したのを覚えています。正直に言って、《星期》の連載陣にいた作家たちは、僕の中では誰もが(当時の業界にとって)一つの流れを作った宗師のような存在でした。特に先輩の作品は、その気迫というか……とにかく圧がすごくて、思わず目をそらしたくなるほどだった。

先輩と知り合うことになったのは、たしか高校を出たばかりの頃だったと思います。阿沁がいつも「阿耀先輩」「阿耀先輩」と呼んでいたので、僕もつい調子に乗って、同じように呼ぶようになりました。

先輩との交流も、そこまで頻繁だったわけじゃないですよね。先輩はあまり街まで出てくる人でもなかったので、会いたいときは、こっちがバイクで1時間以上かけて汐止まで行くしかありませんでした。年にせいぜい1、2回くらいだったと思います。もう何十年も前のことだから、あのとき先輩の家でどんな話をしていたのかは、正直あまり覚えていません。

ただ、《一刀伝》がこの先どう展開していくのかを、先輩の口から直接聞いたことがあるのは確かだし、《赤狐》がどんな物語なのかも、あのとき教えてもらいました。先輩の言葉の選び方はいつも驚くほど的確で、たとえ日常のささいな話題でも、語り口はきちんと筋が通っていて、ちゃんと起承転結が付いていました。しかも、あの低くてよく響く声で……先輩の話を聞く時間は、僕にとって本当に心地いいものでした。「小春日和みたいな気分」と言っても、大げさじゃないと思います。先輩の家に遊びに行くと、いつの間にか夜中の2時や3時になっていて、名残惜しく帰るのがいつものことでした。

あの頃、先輩自身もきっと、ああして物語を語る時間をそれなりに楽しんでいたんじゃないでしょうか。世の中で《一刀伝》の続きが出るのを待ち望んでいた読者たちと同じように、先輩の周りの友人や知人たちも、長いあいだずっと「続きはまだか」と言い続けていました。こちらがそのことをぼやくたび、先輩はいつも苦笑しながらこう言っていました。「話はもう自分で全部しゃべっちゃったからさ。『どうしても描かなきゃ』っていうあの衝動も、もう過ぎちゃったんだよ。」

90年代半ばの市場全体が、台湾のマンガ作家にとって決していい環境ではなかったことは、僕も分かっています。先輩がそんなふうに少し自嘲気味に言っていたその裏には、きっといろいろな無念もあったんじゃないかと思います。あの頃、汐止の先輩の家で《赤狐》の原稿を拝ませていただいたことがあります。あの衝撃はいまでも忘れられません。先輩はそのとき、「とにかく原稿に時間も手間もかかりすぎる。このご時世、《赤狐》のような作品を載せてくれる雑誌なんてまずないだろう」と言っていたのを覚えています。

先輩、あのときの言葉は外れていましたね。96年の《High》にちゃんと載ったじゃないですか。……もっとも、それは雑誌の休刊号でしたけど。僕が《赤狐》をめくったとき、正直かなり複雑な気持ちでした。ひとつは、この作品がついに世に出たことへの、心からの嬉しさです。この作品には間違いなく後世に残る力がある。僕たちのような身近な少数の人間だけが知っていればいいものじゃない。そう思いました。

でも寂しさのような気持ちもありました。当時の《High》編集部は、明らかに腹をくくっていたんだと思います。「休刊号」の作品陣は、いま思えば史上最強クラスとも言えました。普段なら読者受けを気にして、載せにくいモンスター級の作品が、ずらりと並んでいました。

「どうせ休刊号だ。明日なんてもう来ない。だったら後のことなんて気にせず、いいと思ったものは全部載せてしまえ!」――そんなメッセージが、そこからはプンプン漂ってきました。

だからこそ、ふと思ってしまったんです。《赤狐》のように、作り手が魂を賭けて血を吐くように作り上げた作品は、台湾マンガの市場では、まるで終末直前のほんの一瞬のようなタイミングでしか、世に出るチャンスが与えられないものなのか……と。

日本に留学してからも、台湾に帰省するタイミングで時間が合えば、やっぱり先輩のところへ遊びに行くことがありました。最後に先輩の家を訪ねたときには、もう汐止から八徳路へ引っ越していましたよね。あの晩は、《千年ワールドカップ》の話もいろいろ聞かせてもらいました。主人公の「史雲生」という名前は、本当に僕たちが知っているあのコンソメの缶詰から来ていたんですね。

その日もいつものように、結局夜中まで居座ってしまいました。帰る前に、先輩がサイン本を一冊くれようとしたんですが、手元にあったのは、サインを書き損じてしまって人に渡せなかった一冊だけでした。先輩は少し申し訳なさそうに、「直した跡が残ってるけど、気にしない?」と聞いてくれました。いやいやいや…むしろ僕にとって願ってもないことです。サイン本がもらえるだけでも嬉しいのに、さらに「スペシャル版のサイン本」だって自慢できるんですから。

先輩がマンガの世界に戻ってきたのは、僕が日本に住んで何年か経ってからのことでした。環境は相変わらず厳しいままだったけれど、《TX》のために奔走している姿を知り、アングレームでは台湾マンガにスポットライトを当ててくれているのを見て、その後、Webで「マンガのノウハウ」のコラム連載まで始まっているのを見て……。マンガ家・陳弘耀として、国内の創作者たちのために積み重ねてきた活動には、もちろん心からリスペクトしています。でも、先輩の読者としては、それ以上に強く感じたのは、「帰ってきた……大師兄が帰ってきた」という感動でした。

2011年には《時間遊戯》が出版されました。あれはたしか、その年に休みで台湾へ帰ったとき、ちょうど開催されていた開拓動漫祭だったと思います。僕は台湾大学の会場に、開拓の女将さんに挨拶しに行ったところ、そこで先輩とばったり会いました。ちょうど手に入れたばかりの新刊を差し出して、さっそくサインをねだりました。ずっと屋内にこもっていたからでしょうか、サインを書き終えると、先輩が「ちょっと外で一服しよう」と声をかけてくれました。台大体育館の階段の手すりのあたりに腰を下ろして、煙をくゆらせながら、とりとめのない話をぽつぽつと続けました。きっとそのときも、僕はまた《一刀伝》をいつ再開するつもりなのかと聞いたはずです。そして先輩は、いつものようにあの太極拳みたいな受け流し方で、その問いをふわりとかわしてしまったのでした。

先輩が再び(マンガの)ペンを握り始めたなら、《一刀伝》でも《赤狐》でも、いつかきっとまた世に出る日が来るはずだ――あのときの僕は、そう信じていました。まさか、それが先輩に会った最後になるなんて、思いもしませんでした。

2015年にニュースを見たとき、本当に呆然としてしまいました。頭の中には、いろいろな記憶が次々と浮かんできました……。

あの夜、麥叔叔のピンチを助けるために東立の編集部へ駆けつけて、《花木蘭》の当月分の原稿を一緒に仕上げていたのは先輩でしたね。夜中に、版下を取りに来たオヤジを見送ったあと、僕たちは一緒に「大穀ラーメン」へ行って夜食を食べたのを覚えていますか。

先輩が汐止の家で焼いてくれたあのステーキは、いま思い出してもよだれが出そうになります。「いいステーキには山葵が最高に合うんだ」って、最初に教えてくれたのも先輩でした。

「メッセージどうぞ。歌でもいいよ。」……いまでも、先輩が残していったあの留守番電話のメッセージよりセンスのあるものを、僕はまだ聞いたことがありません。

……………………

あっという間に、先輩が僕たちのもとを離れてから、もう十……いや、十一年目になるんですね。

お恥ずかしい話ですが、数年前に目色さんが《大西遊》を復刊してくれたおかげで、僕もあらためて読み返すことができました。あの頃まだガキだった自分には、本当に見る目がなかったんだと思います。

できることなら、《千年ワールドカップ》や《時間遊戯》のときのように、この本を持ってまた先輩にサインをねだりたかった……。でも、その望みが叶うことは、もうありません。

去年、マンガ基地で開かれていた先輩の展覧会を見に行けなかったことが、ずっと心残りでした。今回、台中での展示にはなんとか間に合いそうで、この機会に少しでもその後悔を埋められたらと思っています。

三月の終わりに、また先輩に会いに行けるのを楽しみにしています。もっとも、今回はもう先輩の口から、まだ描かれていない物語を聞かせてもらうことはできませんけどね。

でも、先輩が残してくれた物語は、それだけで僕たちがこれから先も、何度でも噛みしめていけるものだと思います。

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