欧米と比べると、日本の自炊環境は台湾人にとってかなりやさしい。地理環境や文化背景が台湾とどこか似通っていることもあって、自分たちが慣れ親しんできた食材や調味料は、体感で六、七割くらいは日本で普通に手に入る。残りの三割強についても、代用品を見つけたり、中華食材店に行けばたいていは補うことができる。
留学生だった頃から、地元の味を自分の手で再現することにはもうすっかり慣れていた。たとえば珍珠丸のような、もち米とひき肉、そして醤油さえあればだいたい形になるものは基本中の基本。涼麺も、辣油、にんにくペースト、芝麻醤に、少しのピーナッツバターをそろえれば、それなりに近いベースは十分作れる。日本ではなかなか手に入らない油麺についても、スーパーで売っている焼きそば麺で代用してやれば、なんだかんだで悪くない再現度には落ち着いてくれる。
牛肉麺はたしかに手間はかかるが、必要な食材は一通りそろうし、五香粉や八角のような香辛料もそれほど入手に苦労はしない。麺についても、細いうどんで代用してしまえば十分だ(スーパーで売っている中華麺の多くはいわゆるかん水入りの「ラーメン」だし、そばはそもそもまったくの別物)。時間さえ惜しまなければ、たいていの問題はどうにでもなる。いちばんのハードルは、むしろちょうどいい牛肉がなかなか見つからないことだ。
おそらく、牛肉を食卓にのせてきた歴史が比較的短いからなのだろう。日本には世界に誇る和牛文化があるとはいえ、一般家庭における牛肉料理の発想はかなり限られている。スーパーに行けば A5 ランクのステーキ用や、しゃぶしゃぶ、すき焼き用の霜降り肉は簡単に手に入るのに、塊の牛バラや牛腩のような部位となると、専門店をネットで探して取り寄せるしかない。手配が面倒なぶん、いざ作るとなると毎回どうしても大鍋になる。何年か前に一度仕込んだことがあるが、牛肉自体は最初の二日で食べきってしまったものの、その後もあれこれ具材を足しては鍋のスープを延命させ続け、結局食べ終わるまでに一週間かかった。あのとき以来、「三年は牛肉麺を作るまい」と固く心に決めている。
大半の海外在住の台湾人がそうであるように、どうしても無性に鹽酥雞が食べたくなる瞬間というのはやってくる。味付け自体はさほど問題ではない。難しいのは、あのひと口かじったときの「カリッ」とした食感だ。それを再現しようとすると、どうしても決め手になるのが地瓜粉なのだが、これが東京ではなかなか手に入らない……。小麦粉や片栗粉だけでは、やはりどうしても限界がある。
数日ほどネットであれこれ調べて、やっと中日それぞれの粉類食材の名称対照と代替表を見つけた。どうやらタピオカ粉やわらび餅粉で地瓜粉の代用ができ、在来米粉は「上新粉」で置き換えられるらしい。もち米粉についても「白玉粉」で補える。ただ、市販の白玉粉は粒子がやや粗いので、麺棒でさらに細かく砕いてからでないと、思うような仕上がりにはならない。
この鹽酥雞のために、数日前から仕込んでおいた鶏肉に加えて、わざわざスーパーで鶏ハツや砂肝、インゲン、そして「さつま揚げ」まで買い足し、急場しのぎの甜不辣代わりに用意した。ここまでこだわった以上、実際の調理も当然いい加減にはできない。バッターをくぐらせて粉をまぶし、少し休ませてなじませるといった基本の工程はきちんと守り、最初の油入れと仕上げの二度揚げのタイミングも、しっかり見極めなければならない。
牛肉麺なら一週間くらいかけてゆっくり消費することもできるが、鹽酥雞はそうはいかない。当日は台湾人の友人夫婦も呼んで、この山盛りに揚がった「郷愁」を一緒に消化してもらうことにした。手間をかけて調合した自家製の揚げ粉は期待どおりの出来で、慎重に見極めた火加減も申し分ない。衣はサクサクで粒感もきちんと残り、鶏肉はジューシーで弾力もある。――にもかかわらず、その場にいた三人の表情はどこか微妙だった……。仕上げに振った白胡椒塩の配分を誤り、しっかり下味のついた鶏肉と合わさった結果、口の中に残ったのは、食感こそ抜群なのにひたすら塩辛い一口だけだった。
先日、妻が食器棚の中に長らく詰め込まれたままになっていた各種の食材や調味料、乾物などをすべて引っ張り出して点検し、賞味期限を過ぎたものは容赦なく処分していった。小山のように積み上がった廃棄予定の品々の中に、気がつけば、あの蕨餅粉と上新粉、そして白玉粉の袋が紛れていた。いずれも十年近く前から棚の奥に眠り続け、あれ以来ついに二度と使われることのなかったものだ。

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