気がつけば、大塚に住んで十数年になる。まだ引っ越してきて間もない頃だったと思うが、来日を控えていたアニキから、こんなミッションを与えられた。
「美味しい焼き鳥屋を喰いたい」
これだけ長く東京で暮らしていれば、これまで食べ歩いた焼き鳥屋も、二十軒とはいかずとも十数軒はあるはずだ。安さと量だけが取り柄のチェーン店を除けば、その中から何軒か見繕ってやればいいだけの話だ。本来、それほど難易度の高い任務ではない……はずだったが、問題は私自身も大塚に越してきたばかりだったこと、そしてそもそも社交生活がほぼゼロに等しいことだった。普段は家に閉じこもりがちで、わざわざ外に出て美味しい店を開拓するような習慣もない。手持ちの店リストはといえば、どれも片道一時間以上かかる国分寺や、さらに遠い立川ばかり。たかが一食のために往復二、三時間を費やすとなると、どうにも割に合わない。
とはいえ、悩んだのもそう長くはなかった。スマホを手に取り「食べログ」を開いてキーワードを打ち込めば、ずらりと候補が並んで出てくる。選ぶ手間すら要らない、東京23区のランキング一位を押さえればそれでいい。そう思って、画面のいちばん上に出てきた店に電話をかけようとしたとき、三位の店名の横に「大塚北口」と書かれているのが目に入った。よく見れば、毎朝の通勤で家を出て角を曲がった先にある、あの店ではないか。我が家の玄関からは、控えめに見積もっても徒歩三分。足早に歩けば、おそらく一分半もかからないだろう。
家から徒歩三分とかからないあの店が、なんと(当時)東京で三位に入る焼き鳥の名店だったとは。こんな棚ぼたみたいな話を逃す手はない。東京一位の店のことは即座に頭から追い出して、家のすぐそばの店に狙いを定めて予約を入れようとした。ところが、定休日でもなければ営業時間内のはずなのに、電話はいくらかけてもつながらない。仕方なくもう一度調べ直してみると、同じ店名で「大塚南口店」という別の店があることに気づいた。
南口店のランキングは北口ほど高くなかったが、同じ看板を掲げている以上、味もそう大きくは変わらないだろう。後になって知ったのだが、北口は店主が創業時に構えた店で、庶民派の路線を行く店舗だった。そのあと、内装がより洗練され、雰囲気にもこだわった南口店をもう一軒出した。しばらくは二店舗体制で営業していたものの、さすがに手が回らなくなったのか、やがて北口の店を畳み、南口に一本化した。後発だった方の店が自然と「本店」を名乗ることになった。ちょうどその実質的な創業の店が閉まって間もなく、北口の看板もまだ残っていた頃に、私は「焼鳥 蒼天」と出会った。

予約した当日、私は兄を連れて、駅から徒歩六、七分の場所にあるその焼き鳥屋へ向かった。店先に置かれた数鉢の楓の盆栽がいかにも風雅で、看板の脇に吊るされた大きな杉玉も、この店の日本酒が期待を裏切らないことを物語っていた。店内に一歩入ると、まず目に飛び込んでくるのは、大きなスペースを占めるオープンキッチンだ。この日はまだ客もそれほど多くなく、私たちは炭火の焼き台を正面に望む特等席に腰を下ろした。

メニューを開くと、むね、もも、手羽先といった定番はもちろん揃っているし、砂肝やハツ、皮も一通り注文できる。中でも目を引いたのは、メニューの半ページを使って並べられた「希少部位」の項目だ。「ふりそで(振袖)」は手羽と胸のあいだにある部位で、「せぎも(背肝)」は腎臓(そもそも鶏の腎臓なんて食べたことがある人がいるのだろうか)。さらに「おたふく(お多福)」は甲状腺、「さえずり(囀り)」は食道と気管……(食べたことがあるかどうか以前に、こんな部位が単品で食材になるとは思いもしなかった)。
これだけ目移りするメニューを前にして(しかもこれはまだ焼き鳥の品目だけの話だ)、私たちは何から頼めばいいのか見当もつかず、結局は店主に任せることにした。二人揃って「おまかせ5本コース」を頼み、足りなければあとで希少部位をいくつか追加すればいい。飲み物といえば……この手の店なら一杯目は生ビールと相場が決まっているが、その日の私たちは最初から日本酒で攻めることに決めた。
年数が経ちすぎていて、その日に何を食べたのかは正直もう一品一品までははっきり覚えていない。ただ、最初に出された一本が「ささみ」だったことだけは、はっきりと覚えている。私の中の「蒼天伝説」は、まさにそのささみを一口かじった瞬間から幕を開けた。レアどころではない、表面だけをごく薄く遠火で炙っただけの青白いささみは、これがかつて鶏肉の一部だったとは信じがたいほどの柔らかさだった。絶妙としか言いようのない塩加減が、肉本来の旨味を極限まで引き出している。そして、肉ひとくちごとにちょこんと載せられたおろしたての生わさびが、間違いなく決定的な役割を果たしていた。わずかな刺激とほのかな甘みが、噛むたびに完璧な余韻を残していく。

兄弟揃って明らかに圧倒され、顔を見合わせたまましばらく言葉が出なかった。しばらく静寂が続いたあと、アニキがぽつりと呟いた。
「この塩……ただものじゃないな」
私は深く頷き、店主に向かってどんな塩を使っているのかと尋ねた。店主は事もなげに、三、四種類の塩をブレンドしていて、季節や天候によって配合を変えているから一概には言えない、と答えた。その瞬間、自分が野暮な質問をしてしまったことに気づかされた。蒼天は、自分のこれまでの経験で推し量れるような焼き鳥屋ではなかった。
日本の焼き鳥屋では注文の際、味付けを塩にするかタレにするか店員に聞かれることがよくある。また、どの部位がタレに合い、どれを塩で食べるべきかという点についても、一般的な相場というものが存在する。しかし蒼天において、それは客が頭を悩ませる問題ではない。店主がその肉にとって最も理想的だと考える仕上がりで、一串一串を焼き上げて目の前に出してくれる。

塩焼きの焼き鳥というのは、日本の職人精神が最も色濃く反映された食文化だと、私は常に思っている。食材はシンプル(なにしろ鶏肉だ)、調味料もシンプル(塩以外に何もない)、調理法もシンプル(ただ炭火で焼くのみ)。だが、たかが一羽の鶏の部位ごとに、どこをどう仕込み、噛みしめた瞬間の食感をいかに完璧へ近づけるか。包丁を入れる段階から串を打つ作業に至るまで、その工程の一つひとつがそれぞれ異なる小宇宙を成している。どんな塩を使うべきか……いや、料理人が思い描く理想の塩をどう「作り出す」か、一串ごとにどんな密度とバランスで振るべきか、そこにも神は細部に宿る。炭にしても、炭選びからすでに勝負は始まっていて、強火で一気に焼き上げるか、遠火でじっくり火を通すかという見極めや、火加減をコントロールする技術こそが、最高のパフォーマンスを結実させる鍵となる。すべては基本中の基本にすぎないが、極限まで突き詰められた基本の積み重ねは、やがて奇跡を生み出す。
私たちの蒼天デビューは、最後に締めとして追加した「しいたけの肉詰め」で幕を閉じた。もともとは野菜が足りないと感じて焼きしいたけを追加するつもりだったのだが、隣の席に運ばれてきた「しいたけの肉詰め」のあまりに旨そうな見た目に惹かれ、あっさりと肉の誘惑に屈してしまった。すでに二人ともお腹も心もすっかり満たされていたにもかかわらず、この締めの一串は、私たちの開いた口が塞がらないほどの衝撃を再び与えてくれた。

あの日から十数年の月日が流れた。その間、日本を訪れた家族や友人から「いい店に行きたい」と言われるたび、私はいつも彼らを蒼天に連れて行っている。なんだかんだで私自身も二、三十回は足を運んだはずだ。ここの焼き鳥が期待を裏切らないのはもちろんのこと、焼き鳥以外の前菜や一品料理、そして締めの麺やご飯ものに至っては、これまで頼んだことのないメニューを目をつむって適当に指さして注文したところで、私(そして連れて行ったすべての友人知人)は一度たりともハズレを引いたことがない。運ばれてくる料理は馴染みのないものであっても、常に私たちに新鮮な驚きをもたらしてくれる。ついでに言っておくと、蒼天の「地鶏の炭火焼き親子丼」は、専門店も含めて私がこれまでに食べてきたあらゆる親子丼を遥かに凌駕している。

創業期からのつき合いというわけではないが、これだけ長く通っていれば常連と名乗っても差し支えはないだろう。今の私にとって、蒼天で日本酒のメニューを開くことに意味はない。店側も私の好みを熟知しているし、品書きに載っていない地酒を勧められたところで、蒼天が私の味覚を裏切ったことなど一度もなかった。メニューの「希少部位」の欄にすらないめちゃくちゃ希少な部位も、すでに何十本と口にしてきたはずだ。こうして振り返ってみると、蒼天は私の人生の大事な節目に何度も付き合ってくれた店だ。家族が訪ねてきた時の団らんの席はもちろんのこと、妻と区役所で入籍を済ませたあの日、ふたりで「夫婦」として初めて囲んだ夕食の場も蒼天だった。
先日、兄が「アジア100皿」で東京の名店として蒼天を挙げていたことを知り、心から「名実ともにふさわしい」と思った。蒼天のすごさは、百年も受け継がれてきた味を守っているところにあるのではない。店主が長年かけて磨き上げてきた確かな技術、食材に向き合う繊細な心、そして味覚に対する尽きない想像力にこそある。

先ほど触れた伝説の序章「極上レアささみの串わさび添え」だが、鶏肉の生食に関する東京都の指導方針もあり、今ではささみを注文しても、あの時の衝撃を味わうことはもうできない。しかし店主は、ささみの火入れを強めると同時に、生肉の旨味を引き立てていたわさびの代わりに、オリーブオイルをベースにしたバジルソースを添える形へと変えている。バジルの香りと、ほんのりピンク色を残したささみが調和して生まれる火薬は、今なお客の口の中で鮮やかな火花を散らしている。私たちを腰が抜けるほど驚かせた締めの「しいたけの肉詰め」も、近年ではタレ焼きから「しいたけの肉詰め・マッシュルームソース添え」へと変化を遂げた。

一見すると、こうした洋風の調理法は前述した「塩と火」の哲学と背反するように思えるかもしれない。だが、私にはそうは思えない。口の中でとろけるタレ焼きのレバーや、ジューシーで柔らかく、かつ皮目はパリッと香ばしく焼き上げられたもも肉を味わえば、店主が今もなお「基本の積み重ねで奇跡を生む」力を持っている証であり、既存のメニューを通して和洋の境界を越えた華やかな調理法へ挑み続けていることを実感させられる。

これほど大きな東京には、まだ自分の知らない、蒼天をしのぐ実力派の焼き鳥の名店などきっとごまんとあるだろう。それでも私にとって蒼天は、単なるグルメランキング上の一軒ではなく、この街で過ごしてきた十数年の生活そのものと結びついた記憶だ。これから先、友人や親族が訪ねてくれば、きっとまた蒼天を選ぶだろう。そして見知らぬあなたにも、私の生活の記憶の一部を、ぜひ一度味わってみてほしいと心から願っている。

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