「TOKYO Life Day#」シリーズは、2002 年 3 月 24 日に日本に渡った初日から始めたもので、異国での “放浪記録” をなんとか残そうと意気込んで書いた日記だが、実際にはおよそ一週間ほどで途絶えてしまった。まさに「刻の涙」とも呼べるべき、恥力の限界に挑む化石文である。
いつものように、昼近くまで眠った。ホテルのフロントで鍵を返すとき、ラビさんが親しげに声をかけてくれた。
外に出て、ポケットに手を入れると、昨日桜を撮ったカメラがあった。「そうだ、現像に出さなきゃ」と思い立ち、昨日大通りで見かけた現像店を頼りに歩き出す。道に迷うこともなく、曲がったところで店を見つけることができた。店主によると、二本のフィルムは 1 時間後に受け取れるとのこと。早くて効率的ではあるが、その時間は私には中途半端で、1 時間池袋で待っていても仕方がない。結局、店主に翌日受け取りが可能か尋ねることにした。これで、無理に時間を合わせる必要もなくなった。
写真の用事を済ませたあと、茗荷谷に行って学校の様子を見てみることにした。丸ノ内線で二駅しかなく、アクセスは本当に楽だ。茗荷谷駅を出ると、目の前にどーんと拓殖大学の大きな看板が立っていた。茗荷谷に来る人の中には、やはり拓殖を訪れるために来ている人も多いのだろう。
駅から徒歩三分というのは本当で、ちょうどこの日は拓殖のキャンパスで中国語能力試験のようなものが行われており、多くの人が駅を出ると受験票を取り出し、資料を確認しながら歩いていた。私も昨日と同じように、頭を使わずともすんなりと目的地にたどり着くことができた。
キャンパスに入ると、景色は確かに美しかった。ただ一つ残念だったのは、拓殖も喫煙区と禁煙区を厳しく分けていること…… まあ、全面禁煙よりはましだろう。
歩き回っているうちに、ふと下り坂を見つけた。坂には三、四本の桜が植えられており、私が最初に目にした瞬間、そよ風が吹いて花びらがまるで細かい雨のように私の上に舞い落ちてきた……。
落ちた花びらを二枚拾って本に挟み、キャンパスの外周をゆっくり歩きながら学校を後にした。
学校の門を出たのはすでに午後 1 時半を過ぎていた。日曜でも営業している不動産屋を探し始める。最初に見つけた店には、年配の男性が対応してくれた。とても丁寧な対応で、多くの留学生がここで部屋を探したことがあるのだろう、少しだけ拙い中国語も話せるようだ。残念ながら、この店には条件に合う物件はあまりなかった。店主の温かい言葉に見送られ、私は次の店を探すことにした。途中、空き時間を利用して吉野家で牛丼を食べた。たったの 280 円で、これからしばらくお世話になりそうだ。
二軒目は二階にある不動産屋だった。簡単に自分の状況を説明すると、親切にいくつか資料を用意してくれた。資料を絞り込んだ結果、条件に合っていてまだ契約されていない物件は二つだけだった。明日、昼間に現地を見に行く約束をした。気に入れば、家主が外国人でも貸してくれるといいのだが……。
その後、小高に電話をかけ、行く時間を約束し、場所も確認した。ちょっとしたハプニングはあったものの、なんとか無事に彼の家に到着した。
家に入った瞬間、物の多さに圧倒された。物が多いだけでなく、部屋は狭く、しかも本人のほかにさらに三人もいた。どうやら昨日から居候している友人たちらしい。彼ら日本人も皆いい人で、私の状況を聞くと、さっと Yahoo でいくつか資料を集めてくれた。
私がそれをメモしている間に、小高と彼の彼女は、知らぬ間に大きなボウルで餃子の具をこしらえ、三人で手際よく水餃子を包み始めた…… さすが留学生だ。
夕食はとても豪華で、水餃子のほかに数品のおかずも添えられていた。驚いたのは、彼らが水餃子を食べるときにご飯も一緒に食べること。少し戸惑ったが、彼女が大同電鍋を抱えてご飯をよそってくれた瞬間、先ほどの違和感はすぐに馴染みのある感覚に変わった。
食事後に小高がネットの設定を整えてくれ、再び長らく恋焦がれていた水国にアクセスできるようになったのは感動的だった。しかし、せっかくの感動の余韻も壊すかのように、Sumomo のキーボードが突然不調になり、いくら調整しても元の配列に戻せなかった。目の前でメッセージは受信できるのに、キーボードから一文字も打てないという状況に、心底落ち込んだ。結局、Sumomo をそっと閉じ、ホテルに戻ったらこの問題が解決することを祈るしかなかった。
帰りは新宿で少しぶらぶらした。当初は、わずか 30 円高くても、地下鉄で大回りするより、山手線で数分で行ける方がやっぱり楽だと思っただけだった。しかし、地下鉄の改札を出ると、ついプリンスホテル周辺まで足を伸ばしたくなった。後から振り返れば大した成果はなかったものの、散歩はやっぱり楽しかった(無印良品よ〜、いつになったら君の眼鏡ケースを手に入れられるのだろう……?)。
池袋に戻ったのはもう 12 時近くで、急いでコンタクトを外し、トイレに行ったあと、Sumomo をズボン1※IBM ThinkPad のドックに戻して、思いつく限りの方法で問題を解決しようと試みた。やっぱりダメだった。
仕方なく、後藤に助けを求めることにした。1000 円の電話代はケチれない。脱いだ服をもう一度身につけ、急いで下に降りて公衆電話を探す。さすが後藤、私が何分も悩んでいた解法を、わずか 3 秒で答えてくれた。問題が解決したあと、みんなの近況も聞いてみた。編集部は今、まさに正念場のようだ。ここで心から、F 誌がこの局面を無事に乗り切れることを願った。
その後、彼女にも電話して少し話した。日に日に時間が迫っているけれど、出国前よりも短い時間の中で、すべてが順調に進むことを祈るばかりだ。

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