Asma NOTE

Years of rambling from a midlife otaku.

TOKYO Life Day 01

「TOKYO Life Day#」シリーズは、2002 年 3 月 24 日に日本に渡った初日から始めたもので、異国での “放浪記録” をなんとか残そうと意気込んで書いた日記だが、実際にはおよそ一週間ほどで途絶えてしまった。まさに「刻の涙」とも呼べるべき、恥力の限界に挑む化石文である。


陳建と先輩には、本当にありがとう。あんなに大変な引っ越しを手伝ってもらって、感謝の気持ちでいっぱいだ。

そして彼女にも、仕事や雑用で忙しい中、それでも私のために手間と心をかけてたくさんのことを一緒にやってくれて、本当にありがとう。

搭乗前に、免税店で安い赤 YSL(イヴ・サンローラン)が売っていないかちょっと見てみた。幸いなことに売っておらず、出発する前に CASTCO であれだけストックを買っておいて正解だったな~と、ちょっと胸をなでおろした。

数本の電話をかけ、出発前にちゃんと別れの挨拶ができなかった友達にも声をかけた。連絡がつかなかった人は、ネット環境が整ったら改めて補完しようと思う。

自分ではもうかなり遅い便の乗客だと思っていたのに、隣の席は空席で、離陸 5 分前まで誰も座らなかった。日本人だろうと思い、簡単な単文で少し会話していたのだが、笑えることに、離陸後に突然その人が中国語で「日本に何年住んでるの?」と尋ねてきて、思わずあっけにとられてしまった。

道中に話し相手がいるのはやはり心強い。話をしてみると、相手は私よりたった二歳年上で、日本でも数年働いていることがわかった。たった二時間半ほどの間だったが、互いにいろいろ話し、彼は自分にとって役立つことをいろいろ教えてくれて、とても助かった。

入国後も、彼はいろいろ手伝ってくれて、バスの時刻や「貴美」の住所を確認してくれた後、『明日はおそらくメトロポリスに泊まるかもしれない』と言い、連絡先を残して颯爽と立ち去った。

私はバスの時刻を慎重に確認してから、無事に池袋へ向かった。そのとき突然、強い実感が込み上げてきた。これまでなら、飛行機を降りた瞬間の日本の空気の匂いが、何気なく感情を呼び起こしてくれた。たとえ匂いがなくても、空港を出て右ハンドルの車が走る道路や、路上に並ぶ日本語のネオン看板を目にすれば、「ついに憧れの地に足を踏み入れたんだ」と自然に感じたものだ。胸が高鳴ったり、心が弾んだりすることもあった。だが今回は、まったくそんな感覚はなく、すべてが当然のことのようにそこにある —— そんな気持ちだった。

バスは高速道路で長く渋滞し、池袋に着くまでに約二時間半もかかった。下車後、親切なタクシーの運転手に出会い、無事に「貴美」まで送ってもらった。

簡単にフロントで挨拶を済ませた後、電話番号を持って軽装で池袋駅へ向かった。

会長さんとは電話で話し、日曜日に改めて連絡することにした。李敢おばさんにも連絡を取り、無事を伝えた。小高には電話をかけてみたが、ずっとつながらず、結局あきらめることにした。また、使えそうなネットカフェを探してみたが、結局見つからず、無駄足に終わった。

夜の 10 時半、久しぶりにラーメンオヤジの屋台で食事をした。ボロボロの日本語で素直に褒めると、オヤジもとても喜んでくれた。自分でも、ここにいる時間が長くなれば、日本語もきっと上達するだろうと感じた。

池袋の街中では、風俗の勧誘に何度も声をかけられたが、これも自分の日本語会話力を試す良い機会だと思った。欠点は、最後にうまく切り抜けるときに少し手間がかかることくらいだ。

明日はノートパソコンを持って出かけ、Sumomo 1※ノートパソコン。デスクトップパソコンは「Chobits」と呼ばれる。の力を借りて水国にひとこと残し、みんながあまり心配しないようにしたい。

今日のまとめ:
充実しているのに、どこか空虚でもあった一晩だった。

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